特別養護老人ホームへの申請から入居までにかかった時間 母の場合

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先日、母が特別養護老人ホーム(特養)に入居しました。

今年1月初めにそれまで入居していた介護サービス付き老人ホームから精神科へ入院してから8ヶ月経っていました。

一応終身過ごせる場所に落ち着いたので、私は一安心です。

でも認知症が進行し、言葉がほとんど出なくなった母はどう思っているのかはわかりません。

今日は、母の施設入居、入院から特養への入居までのことをお話しします。

現在、特養を探しておられる方・施設入居を検討されている方・認知症の親族を介護されている方たちに少しでもお役に立てていただければ幸いです。

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突然始まった認知症の母を介護する日々

3年前、ずっと母と同居してきた弟が急に家を出たために、私が認知症の母の介護をすることにことになりました。

別居介護でしたが、母の足で10分ほどのところに住んでいましたので、初めのうちは何とかお世話ができました。

認知症への考え方・母への接し方が違い、怒って出ていった弟とは、私が家族で実家に戻り母と同居するという方向で話し合いをしましたが、折り合いが付きません。

弟は、私たちが母の介護を理由に、実家を自分たちのものにすると疑っていました。

ホントにばかばかしい考えでしたが、弟は同居を許しませんでした。

私も自分の家族をこれ以上、面倒なことに巻き込みたくなかったので、結局別居介護を続けることにしました。

次第に認知症が進み、徘徊がひどくなり、真夜中や早朝に実家へ行くことが増え、近所の人にもご迷惑をかけるようになりました。

その時点で、週5日・朝9時から17時までのデイサービスをお願いしていましたが、もともと早朝から夜までずっと仕事漬けの自営業だったため私の体力も限界に来ました。

 

母、初めての施設入居

相変わらず文句だけ言って全く何もしない弟、それに加担して意地悪して文句を言う母の妹(叔母その1)夫婦に疲れ果て、父方の伯母へ相談しました。

幼い時に亡くなった父でしたが、父の伯母たちとはお付き合いがあり、母のことも心配してくれていましたので、とても助かりました。

その結果、見栄っ張りでいい格好をしたがる弟が、伯母の前で「施設に入ったらその費用は長男の自分が全部出す」と言いました。

ぼちぼちヤバい状態になり、ストレスで痩せてもきていた私は、すぐに施設を探し、運よく自宅にも実家にも近いところで介護付き有料老人ホームが見つかりました。

そこに入居したのが、2年前です。

正直なところこれ以上平常心で母の介護をする自信が無くなっていましたので、とりあえず、母を任せることができてホッとしました。

 

弟夫婦や叔母その1は、
「そんなとこに入れられて、お母さん(母のことです)がかわいそう」
自宅に引き取ったらいいのに」
「最後まで責任を持て」
などと言われました。

 

私の自宅は1階が店舗、2,3階が自宅で、またバリアフリーには程遠い間取りです。

足が丈夫で、認知症の初期ならいいですが、その時の状態では、いつ階段から落ちるか、どこで転んでけがをするかわかりません。

もし大けがでもしたら、また弟たちが文句を言うのは目に見えてました。

母に起こることは、全部私が悪いと思っているのですから。

頭の中はいったいどんな仕組みになっているのか、不思議なくらいです。

施設に入居してくれたことで、母が大けがをする可能性だけは低くなったので、文句を言いながらも費用を負担してくれたことは、ありがたいと思いました。

 

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施設でも次第に迷惑をかけるようになってくる母

元々プライドが高く、気のきつい母でしたが、認知症になって少し言葉が少し柔らかくなっていました。

そのおかげで施設でもよくしてもらい、私もできるだけ施設へ行って母の様子を見ていました。

仕事の都合が付けば、週に3回、忙しくても2回は面会に行くようにしていたので、施設の職員さんともよくお話をするようになり、弟のことや経済的なこと、母の今までのことなどをできるだけ話すようにしました。

よく面会に行って顔を覚えてもらっていれば、母のことも気にしてくれるのです。

もちろん文句などいいませんよ。

いつも感謝、気になったことは控えめに、感謝の言葉の中に少し混ぜてお話しします

職員さんも人間ですから、やはりよく顔を見せる家族がいる入居者さんのことは、良く見ていてくれるようです。

 

これは、子どもが小学校に上がった時にも実感したことです。

おとなしくて人見知りだった子どもが担任の先生にしっかりと覚えてもらうため、子どもの性格をできるだけ早くわかってもらうために、入学してしばらくは、少しでも気になった時は連絡帳をこまめに利用しました。

これもやはり、文句ではなくお願いする感じで、先生の忙しさも気遣いながら、書きます。

直接学校へ行くと、うざがられる可能性もありますので、控えめに連絡帳です。

 

入居して1年ほどは、穏やかに過ごしていました。

相変わらず弟の嫁、叔母その1は、一度も面会しませんでした。

(弟はさすがに2ヶ月に1度くらいの割合で来てたようです)

5年くらい前から夜に熟睡することがあまりなかった母は、(これも認知症の症状でした)だんだんと徘徊が増え特に朝方4時くらいから施設の中をうろうろするため、睡眠剤を使用するようになりました。

 

ずっと抗認知症薬のアリセプトとメマリーは飲んでいたのですが、入居1年を過ぎるころから不機嫌な表情が増え、面会に行っても文句ばかり言うようになってきました。

去年の秋ごろ、職員さんから少しきつめの睡眠剤を使用したいとの話があり、念のためかかりつけの認知症医さんに見ていただきました。

その時、改めて認知症診断をすると、重度の診断でした。

睡眠剤と量が増やされた抗認知症薬をいただき、施設で様子を見ることに。

でも・・・。

 

認知症の薬が効いていない?暴言や暴力が目立ってきた母

入居から1年3ヶ月ほどたった去年の12月、とうとう施設から入院を勧められました。

今のところは、職員さんをたたこうとしたり、暴言を言う程度だけど、もしほかの入居者さんをたたいてしまったら、それで怪我でもされたら、と思うと入院も仕方ないのかもと思いました。

精神科への入院は、少し抵抗がありました。

それに今入院したら、確実に認知症が進行します。

私を心配して時々母の様子も見てくれていた母の別の妹:叔母に相談して入院を決めました。

弟には事後報告です。

精神科への入院とわかると、施設へ電話をしたそうです。

「一生そこで看てくれるんじゃないのか!」

と怒鳴ったそうです。

本当に恥ずかしかった。

でも職員さんは、

「大丈夫ですよ、大変ですね」

と苦笑い。

職員さんは、介護している家族をきちんと見てくれているんです。

それだけでも救われます。

お正月は、叔母のところへお呼ばれして、母も少しは楽しんでくれたようでした。

正月休み明けに、入院しました。

施設はいったん退去しました。

 

前年の五月ごろ、弟が勝手に実家の売却を決めたため、売却金(わずかなものです)を母の介護費用として半分ずつ管理するように頼んでいました。

弟夫婦は、お金遣いが荒く、特に嫁は派手だったので、売却金を使い果たされるのが怖かったためです。

実家を守ってきたのは母ですから、母のために使っていくのが当然です。

弟は、それなら施設の費用や他の介護費用も半分は負担するように要求してきましたので、もちろん受けました。

 

ですが、施設費用は年金だけでは賄えません。

いつまで続くかわからない介護だけに、少しでもお金は節約しておきたいと思い、多額の費用が掛かる介護付き有料老人ホームは退去することにしたのです。

 

精神科への入院で落ち着いた暴言、そして認知症はどんどん進行していく

入院1日目、早速暴れだした母ですが、少し強めに安定剤を処方されて、次の日にはすっかり落ち着いていました。

ずっと気になっていた眉間のしわも取れ、表情が穏やかになってきたのです。

あまりの変化に驚きました。

病院の診断は、アリセプトとメマリーが母の認知症に合っていなかったという事でした。

母は、アルツハイマー型認知症と診断されていたのですが、血管性認知症との複合型だったのです。

そのため、薬が上手く効かず、精神的に不安定になり、暴言を言うようになっていたようでした。

抗認知症薬をやめて、精神的に安定するような方向で処方された薬を中心に飲むことで、暴言は落ち着きましたが、恐れていた通り、認知症が徐々に進んでいきました。

入院3週間ほどで、私のことを認知できにくくなりました。

入院1ヶ月半ほど過ぎると、薬の調整がほぼ終わり、精神科での治療が終了したため、同じ病院の認知症病棟に移りました。

そのころは、処方中の薬の副作用で頭がひどく前傾していて、ヘッドギアを付けるようになっていました。

私との会話も、ほとんど成立しません。

考えていたよりもずっと早く認知症が悪化していきました。

 

認知症病棟に移ってからも毎週面会に行っていましたが、行くたびに言葉が減っていきました。

前傾姿勢のまま病棟内を歩き続ける母。

病院の帰り、車を運転しながら何度も泣きそうになりました。

本当にこの判断でよかったのか、母の人生は幸せなのか、

私は間違っていたのか・・・。

考えてもしょうがないことばかり、考えてしまいます。

多分この先もずっと考えるのでしょうね。

 

病院から老人保健施設へ

介護付き有料老人ホームに入居していたときは、要介護2でした。

認知症が進行してからも、あまりにも急な進行だったためもあり、要介護2のままで見直しをしていませんでした。

でも、この後の施設を探すためには、介護度の再認定も必要でした。

入院からひと月ほどたったころに介護度の見直しを申請し、今年の4月初めに要介護4と診断されました。

入院時は要介護2のため、特養の申し込みができず、老人保健施設(老健)の申し込みだけをしていました。

これは入院先の病院にいらっしゃる相談員の方が申し込みをしてくださいました。

入院中でなく、自宅介護の場合はケアマネージャーさんにお願いすることになります。

 

入院から4ヶ月後の4月おわり、申し込みから3ヶ月半で老健への入居が決まりました

そろそろ退院しないといけないかもという状況でしたので助かりました。

 

老人保健施設の特徴

老人保健施設は、公的な介護保険施設ですので、費用は老人ホームなどよりは安く済みます。

ただ原則自宅へ帰るためにリハビリ施設とされていますので、基本的には3~6ヶ月以上の入居期間と決められています。

母の場合は、自宅がないことと家族(この場合は私だけ)が自宅で介護することが難しいので、ある程度機関に余裕は見ていただけるかもしれませんが、長期にわたる入居は望めません。

たが、リハビリが充実しているのは、ありがたかったです。

老健に入居して1週間ほどたつと前傾姿勢はすっかりなくなり、調子のよいときはしっかりと目が合うようになりました。

あとは、特養を見つけるだけです。

 

特別養護老人ホームへの申し込みまで

特養の申し込みは、要介護3以上でないとできません。

母の場合は、4月初めの要介護4になりましたので、その後すぐに特養を探し、申し込みました。

その流れを紹介します。

 

1.特養への問い合わせ・見学・資料請求

希望する地域にある特養を探し、電話かメールで問い合わせや資料請求をします。

私の場合は、自宅から近い特養をサイトで探し、2~4ヶ所を選んで電話をしました。

まずは見学の申し込みです。

施設の担当の方が丁寧に案内をしてくださり、母に関する簡単なアンケートを受けてしようと入居申込書をいただいてきました。

 

入居を申し込む・見学する特養の施設は、複数になっても問題ありません
中には50ヶ所も申し込んだ人がいると聞きました。
早く入居を決めたいばかりに、施設の様子をしっかりと検討せずに申し込んだり、面会に行くのに遠すぎるところまで希望すると、あとで後悔することにもなりかねません。
とりあえず申し込んでいたところに決まり、自宅や実家から車で2時間以上かかるような遠方になってしまったという事もあり得ますよ。
複数の特養に申し込む場合も、しっかりと施設を見て、入居する本人に合うかどうかを考えてあげてください。

 

2.入居申込書の提出

入居申込書は、ケアマネージャーさんに書いてもらう部分が多いので、希望する特養の入居申込書をケアマネージャーさんに渡します。

私の場合は、まだ母が入院中だったので、病院の相談員さんに渡しました。

申込書の記入ができれば、特養へ提出します。

これは、直接家族が特養へ提出するパターンとケアマネージャーさんが提出してくれるパターンがあります。

 

3.特養での審査

特養での審査は、それぞれの地域や施設で異なることも多いので、詳しくは言えません。

ケアマネージャーさんからうかがった話では、要介護度が高い人・自宅介護が難しい人など緊急性の高さなどが審査の基準の一つになっているそうです。

 

4.特養の面談

入居可能時期が近付くと、施設から連絡があります。

本人と家族、ケアマネージャーさんなどが同席で面談を受けます。

この時点で、特養の入居はほぼ確実だと思いますが、入居の時期は1週間後の時もあれば、1ヶ月後の時もあるそうです。

 

5.入居決定・契約・入居

入居が決定すれば、必要な書類を用意して契約をします。

必要な書類などは、入居が決まった特養の施設で担当のケアマネージャーさんが教えてくださります。

私の場合は、入居日の2~3日前に契約をしてから、当日に母を連れて行きました。

6.入居申し込みから入居までの期間

入居申し込みをしてから実際に入居できるまではどのくらいの期間がかかるのかは、個人によって相当な差があるようです。

先ほども述べましたように、要介護度が高い人・自宅がすでにない人・一人暮らしの人・家族が自宅介護できない状態など、比較的緊急性が高い人が優先順位が高くなりやすいと言われています。

母もそれに当てはまったおかげなのか、5ヶ所の特養を申し込み、入居までは約4ヶ月でかかりました。

 

今特養に入居して1週間が過ぎました。

職員さんとのコミュニケーションをとりながら、母の性格や日常の生活の中で希望することなどを伝えて、職員さんにも母に慣れてもらい、母にもその施設に慣れてもらっている時期です。

母のいる特養は、アットホームで温かい雰囲気のある施設で、中も明るくてきれいで、とても良いところです。

母はどう思っているのかわかりませんが、これから静かに気持ちよく暮らしていってくれることだけを願っています。

 

これからも何かあるのかもしれませんが、施設の職員さんと話し合いながら、母の生活を見守っていきます。

 

ご家族の施設入居を考えている人へ

家族や親を施設へ入居させると、頑張って介護をしてきた人ほど罪悪感を感じてしまいます。

今まで介護してきた時間が自分の時間に戻り、ほっとする一方で、自分だけこうやって暮らして、親は(家族は)どう感じているのだろう。

もうすこしがんばったほうがよかったのじゃないか?

環境によっては、周りから親を施設に入れたことに文句を言われることもあります。

でも、今まで頑張ってきたことは介護してもらってきた人が一番わかっていてくれるはずです。

施設入居しても、面会には行けるのですから、時間に余裕ができた分、あなたの笑顔を今まで以上に一杯見せてあげてください。

元に戻ることはないのですから、これからはずっと穏やかに温かく暮らせるように、あなたのできることをしてあげましょう。

とやかく文句を言う人のことは、さらっと流したほうがいいです。

 

そうそう、弟は入院前に母の顔を見てから、約半年後の老健にいる母に会いに来ました。<もう既に弟のことなんて理解できません。
意思の疎通もできず、目も合わせてくれない母に、弟は何を思っていたのでしょう。
その後の連絡で
「あの母の顔は一生忘れません」と
明らかにすべてなにもかも私が悪い、私のせいだというような文面で締めくくられていました。
重度の認知症なんだから半年も顔を見なければ、驚くに決まっています。
弟はなんてかわいそうなんだ、なんて愚かなんだと、そう思いました。

 

介護をしてきた親が亡くなった時、できるだけ後悔をせずに済むように生きてくれている間に孝行しましょうね。


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小春

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