認知症の母の介護度が1年半で2から5になった 母の変化と環境

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2020年3月現在、コロナウイルス対策のため、母が入所している施設も面会制限がかかっています。

急を要することがない限り面会には行けない状態です。

いつも仕事の合間に面会していたので、時間にゆとりができてホッとする反面、次に会った時に母が完全に私のことを忘れていたらどうしようかという不安も感じています。

今は、母が無事に生きていてくれること、職員さんたちが頑張ってくださることに感謝して、私のできることを頑張ります。

今日は、わずか1年半で要介護度が2から5に上がってしまった母の様子とその環境の変化について、お話しします。

以前の記事と重複するところもあるかもしれませんが、できるだけわかりやすく母の様子を中心にお話しします。

同じような環境の方や認知症の親を介護して不安を感じている方が少しでもご参考にしていただければ幸いです。

 

母の態度が粗暴になる

今から1年半ほど前2018年の秋ごろから、母の態度に変化が現れてきました。

そのころは、介護付き老人ホームに入居して、職員さんにも良くして頂いていました。

ただ、早朝の施設内徘徊がひどく、認知症の薬(メマリーとアリセプト)と共に睡眠剤も処方していただいていました。

相変わらず睡眠が浅く短い母は、本人も気づかぬうちに相当疲労がたまっていたようで、いつもイライラしていました。

特に秋が過ぎ、冬に入るころには、職員さんに怒鳴ったり、時には手を上げるようなしぐさをすることもあったと聞いています。

薬の処方だけでは、どうにもならないところまで来ていたために、精神科の病院への入院を勧められました。

正直とても抵抗がありましたが、母の様子は日に日にひどく荒っぽくなっていきます。

このままでは施設にいることすらできそうになかったので、かかりつけの認知症のお医者さんに紹介していただき、精神科のある病院へ入院しました。

2019年1月のことでした。

この段階で、母の介護度は2です。

私の運転で病院へ行く間、母は怒ったような話し方で、ずっとしゃべりっぱなしでした。

でも、意思の疎通はある程度できていましたし、私のこと自分の娘だとわかっていました。

病院へ行くと、母は検査ののち入院。

私はそのまま帰りました。

次の日に様子を見に行くと、看護師さんのお話を聞きました。

入院が決まった後、母は相当怒鳴ったそうです。

「なんでこんなところに入れられるの!私をどうするつもり!」

とか言っていたそうで、興奮しすぎていたために鎮静剤を処方されていました。

母の顔を見に行くと、すぐに私がわかり、落ち着いた様子で話ができました。

昨日のイライラ話す母とは、別人のようでした。

その後も投薬治療を受けて、母が暴れることは無くなりました。

病院の話では、母はアルツハイマー型と脳血管性認知症の混合だったため、アルツハイマー型認知症のみの薬を飲んでいたことによる副作用で暴れたり、必要以上にイライラしていたようでした。

母は、久しぶりに穏やかな表情が出るようになり、ほっとしました。

 

入院が母の記憶を薄めていく

入院して1ヶ月も過ぎると、母はただただおとなしくなっていました。

言葉数も少なくなり、じっと椅子に座っていることが多くなってきました。

私のことはわかるので、面会に行くと何かしらおしゃべりはしてくれます。

2ヶ月経った頃には、少しずつ意思の疎通ができなくなっていきました。

入院するという急激な変化により、認知症は進むだろうと覚悟をしていましたが、あまりにも早い変わりように、驚きました。

「これで本当に良かったのか」「他に方法はなかったのか」

とても悩み後悔し、病院からの帰り、車の中で泣くことも増えました。

入院して3ヶ月、基本的な投薬治療は終わり、経過観察のみになったので、同じ病院内の認知症病棟に移りました。

病棟を移ってすぐの母は、また落ち着きがなくなり、うろうろしていました。

暴言を言うことはなく、薬の副作用で頭が右に傾いたままよたよたと歩く姿を見るのは、とてもつらかったです。

この頃、介護度の見直しの結果が届き、要介護度4となりました。

少し前に老健施設への申し込みはしていましたが、要介護度が4になったことで、特養の申し込みも始めました。

私の家の近くで、母に合いそうなところを3ヶ所、申し込みました。

 

入院から4ヶ月で老健に移る

相変わらずどんどん認知症が進んでいるように見える母を見ながら、辛い、後悔の毎日が過ぎます。

入院から4ヶ月、老健への申請から3ヶ月。

老健施設への入居が決まりました。

足だけは丈夫で、よく歩いていた母が、車いすに乗って退院です。

老健までの車の中、話すのは私ばかり。

母はほとんど話しません。

入院する前の、イライラした口調の母が懐かしくなりました。

あのままでもよかったのだろうか?

ふとそんなことを思うほど、母の様子は変わっていました。

老健でも、職員さんに良くして頂き、穏やかに過ごすことができていました。

でも、じっと私を見て話すことはほとんどなく、面会に行ってもあまり反応が見られませんでした。

「これでよかったのか」と逡巡するばかりでした。

 

老健から特養へ 落ち着いた環境に少しほっとする

特養の申請からやはり3ヶ月ほどたったころ、第一希望だった施設から入居可能になったとの連絡。

これで、母もようやく落ち着き場所ができると少し安心しました。

娘に手伝ってもらって、母の引っ越しをしました。

孫娘のことは、まだわかっているようで、じっと娘の顔を見ることもあります。

もともと怖がりの母は、新しい環境にすぐなじむ方ではありません。

多分しばらくはまた落ち着きがなくなるだろうと思い、できるだけ面会に行くようにしていました。

特養に入居して1週間も過ぎると、母は落ち着いたようで少し穏やかな表情が戻りました。

私が会いに行っても、反応してくれます。

ベッドに横たわっているときは、じっと私を見て話しかけてくれます(何を言っているかはほとんどわかりませんが)

母のそばにいる時は、必ず手を握るのですが、特養に来てからは、母から私の顔をなでようとすることもあります。

この間は何を思ったのか、鼻をつままれました。

何にせよ、私のことはまだわかっているようです。

今年(2020年)のお正月には、私の息子と娘を連れて行きましたが、その時も二人をじっと見て何かを思い出そうとしているようでした。

「わかる?この子だれかわかる?」

と言うと

「ちょっと待って!」

妙にハッキリ言ってじっと考えている様子でした。

意味不明のおしゃべりの中に、時々はっきりした言葉が混じります。

それが結構楽しくて、うれしくて。

「まだ母の中には、私や孫たちがいてるんだ、私たちに何か話したいんだ」

そう思って、愛しくさえ感じます。

2020年1月、要介護度5になりました

 

感情という感覚はずっと残る

介護士さんは

「感情という想いは、最後まで残ります」

と話します。

それが本当なら、母は私たちが会いに行くことを喜んでいるはずです。

とても寂しがり屋の母ですから、もっと私たちに会いたいと思っているかもしれません。

母の変わってゆく姿を見るのは、本当につらいですが、面会に行く旅のコミュニケーションをできるだけ楽しみたい。

今はそう思っています。

後悔することはいっぱいありますが、後ろばかり見ていても何も変わりません。

これから先、後悔することのないように母の最期まで楽しく接していこうと思っています。

次に面会に行くとき、母が私を忘れていても、手を握ってしっかり目を見て、ゆっくりと思い出してもらいます。

あなたもどうか、体に気を付けて。

ほんの少しだけでも喜びや楽しみを見出して日々の介護のエネルギーにしてください。

頑張らずにゆっくりと、息抜きしながら看ていきましょうね

 


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