まいまい京都「新選組誕生の地・壬生を歩く」ツアーに参加!感想を報告します

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先日、初めてまいまい京都さんのミニツアーに参加してきました。

新選組ゆかりの壬生を散策するコースで、普段は拝観できない場所などにも特別に入れるというのが魅力的で、申し込みました。

今回は、ツアーの内容と感想をお話ししたいと思います。

まいまい京都さんのツアー参加を考えている方やまいまい京都さんに興味のある方はもちろん、まいまい京都って何?と思っている方にもわかりやすく紹介しますので、是非お読みくださいね。

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まいまい京都って?

ツアーのお話の前に、まずはまいまい京都さんについて、簡単に紹介します。

まいまい京都さんのブログには

まいまいとは「うろうろする」という京ことば。
京都の住民がガイドする、京都のミニツアーです。

と書いてあります。

この言葉通り、京都に住み、京都愛に満ちた魅力的なガイドさんが、独自の視点で京都のいろいろなところを案内してくれるミニツアーを提供してくださっています。

ミニツアーというだけに、費用も2500円くらいから、時間は2~3時間程度で、もちろんおひとりさまからOKです(おひとりさま参加率は、70%超)

あるテーマに沿って、京都のどこかを案内してもらう…知られた観光スポットだけでなく、コアな場所もあります。

普通の京都観光では飽き足らない人や、私のように京都市民でありながら、もっと京都を知りたい人なども大歓迎のとってもアットホームで楽しいツアーですよ。

興味のある方、まずはまいまい京都さんのサイトへご訪問してみてくださいね。

まいまい京都公式サイト

では今回私がおひとりさまで参加したツアーを紹介します!

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久しぶりに新選組誕生の地・壬生へ

数十年来の新選組ファンの私は、もちろん壬生には何度も足を運んでいましたが、拝観できる場所は限られているため、ここ数年は訪れていませんでした。

でも今回は、新選組屯所跡の旧前川邸にある土蔵へ入れるということで、とっても楽しみでした。

集合場所は、壬生の最寄り駅阪急京都線の大宮駅、14時集合でしたが、30分以上も早く着いてしまいました。

どんだけ待ち遠しかったんだ!

参加メンバーがそろったところで、今回のツアーのガイドさんがご挨拶。

今回のガイドさんは、東山にある霊山歴史館学芸課長・木村武仁さんです。

霊山歴史館

霊山歴史館

コロナ対策をしたうえで、壬生へ向かいます。

光林寺から光縁寺へ

大宮通りを南へ、四条通から一本南の綾小路通りを西へ入ります。

少し歩くと光林寺というお寺があります。

光林寺

光林寺は、江戸後期の歴史家・頼山陽の葬儀が行われた寺院です。(葬られているのは、頼山陽の毛髪だけですが)

頼山陽は、「日本外史」という歴史書を執筆していますが、この本は近藤勇の愛読書でした。

出展:日本肖像画図録 (京都大学文学部博物館図録) 思文閣出版 1991年

近藤勇に限らず、幕末の志士たちは、「日本外史」を愛読書としていた人は、結構多かったそうですよ。

ちなみに頼山陽の愛したお酒は「剣菱」で、近藤もそれに倣って愛飲していたそうです。

近藤さんって、あまりお酒をたしなまなかったとも聞きますが、やっぱり尊敬する人のまねをしたかったんでしょうか。

なんだか親しみを感じちゃいますね。

木村さんのお話によると、鳥羽伏見の戦い前に、新選組隊士たちにふるまわれたお酒も「剣菱」だったそうです。

銃弾を受け、大坂城で手当てを受けている近藤局長が愛したお酒を飲んで、必勝を誓ったのでしょうか。

隊士たちが眠る光縁寺

次に訪れたのは、光縁寺です。

光縁寺には、新選組副長のちの総長山南敬助をはじめ、河合耆三郎や松原忠司ら新選組隊士のお墓があります。

また、沖田氏縁者と刻まれたお墓があり、これは沖田総司の恋人のお墓ではないかと言われているものです。

なぜ光縁寺に、新選組隊士が葬られたのかは、はっきりとはわかりません。

山南敬助の家紋と光縁寺の寺紋が同じ「丸に右離れ三つ葉立葵」だったことや、当時の住職良誉(りょうよ)上人と山南が同い年であったことなどから、山南と良誉上人は親しかったのではないかと言われ、そのあたりから新選組との縁ができたのではないかというお話でした。

私たちは、新選組隊士のお墓にお参りをした後、本堂で木村さんから山南敬助切腹や松原忠司の逸話などを聞きました。

光縁寺を出ると、新選組の馬小屋があった場所を教えていただきました。

この塀の奥の方に馬小屋の入り口がありました

今は、何にも残っていませんが、新選組幹部はここで馬に乗り、京都守護職会津藩本陣などに出向いたのかと思うと、特別の場所に見えてきます(単純!)

新選組屯所跡旧前川邸へ

いよいよ本日の大本命、旧前川邸です。

ご存じの方もいらっしゃると思いますが、先日来京都でも話題に上っていたのが、旧前川邸横に7階建てのマンションの建設が予定されているという話です。地元での猛反対と、署名運動などにより今のところ7階建てのマンションが建つことは亡くなったのですが、その場所は下の画像の通り更地のままです。

奥右に見える建物が特別に拝見させていただいた土蔵です

この先何かしらの建物が建つ可能性は十分あります。
その建物が、地域に合ったものならいいのですが、まだまだ予断は許さない状態です。
ガイドの木村さんも照明運動に協力されていたということで、今後の行方にも気にかけていらっしゃいました。
私もいち京都市民として、京都の風景を壊すような開発が行われないことを願い、できる範囲で行動していこうと改めて思いました。

私が新選組を知って、初めて壬生を訪れたときは、こちらの旧前川邸は、門が閉まったまま、八木邸も非公開でした。

今では、旧前川邸の門の中へ入ることはできます。

とはいえ、奥に入らせていただくことはできません。

それが、それが今日はあの土蔵に入れるのです!

あの土蔵…幕末や新選組好きならすぐわかりますが、念のために説明しておきますね。

新選組を一躍有名にした池田屋事件、そのきっかけは、古高俊太郎という浪士を捕縛したことです。
古高は、新選組に捕縛され、屯所の土蔵で壮絶な拷問を受けました。
拷問をしたのは、副長土方歳三です。
激しい拷問にも耐え続けた古高を、土方は逆さづりにして足の甲に五寸釘を打ち、その五寸釘にろうそくを立てて火をつけたのです。
さすがの古高もこのすさまじい拷問には、耐え切れず、過激浪士たちの計画を自白したのです。

土方が古高を拷問した土蔵は、今も現存しているのですが、一般公開はされていません。

その土蔵へ、特別に入ることができるのです。

ワクワク…というのも変ですが、画像でしか見たことのない土蔵に入れるというのは、楽しみでした。

こちら、写真撮影はOkですが、ブログなどにアップすることはできませんので、私のつたない文章で説明します

外観は、頑丈な土蔵という感じ。

貴重品を保管するための土蔵ということで、入り口の扉はなんと四重!

木村さんのお話では、前川家は京都守護職や大名への貸し付けなどを行っていた両替屋で、当時は相当なお金持ちだったそうです。

ですから、土蔵を作るのにもお金に糸目をつけずに作ったおかげで、今でもこうやって現存しているのです。
(明治以降は、大名に貸していたお金が回収できなかったことや幕府側についていたことなどから、没落してしまったそうですが)

入ってすぐのところに、大きくて深い穴が。

これは、千両箱や宝物をしまって、上に床板を置き、家具を置いて、泥棒から貴重品を守るための穴です。

穴の上の天井は、はずされ、二階の天井にある滑車に古そうな縄がかかっています。

ここが土方が古高を拷問した場所です。

そう思ってみるからでしょうか、ちょっと怖い感じもします。

でも、土方の拷問があったからこそ、池田屋事件があり、新選組の名が有名になり、今の世でも私たちが新選組を知ることができたのかもしれません。

現代と新選組を繋ぐ、一つの場所だと思うと感慨深いものがありました。

ここに土方さんがいた…と思うと…。

なんかイタイことを言っちゃいそうなので止めます。

古高俊太郎は、重要人物だった!
古高を、私は結構下っ端の人だと思っていました。
武器の管理と密書の仲介をしていただけの使いっぱしり的な感じかな?と。
実は、最後の長州藩主毛利元徳の遠縁にあたる人で、有栖川宮家ともパイプがあったそうです。
そんな重要人物だったからこそ、長州藩をはじめとする浪士たちは、古高奪還のために急いで話し合いをするために池田屋に集まっていたらしいのです。

木村さんからうかがった情報は、まだあります。

この出格子がある部屋で、芹沢鴨一派の野口健司が切腹しました。


旧前川邸の建物を坊条通りから見た景色ですが、大きな屋根の頂点の下あたりに山南敬助が切腹した部屋があります。

昔は出格子があったそうですが、自動車がぶつかって壊れてしまい、それ以降は窓がふさがれてしまいました、残念。

窓からでも山南さんの切腹した部屋が見たかった。

浪士隊の本陣 新徳寺へ

最後は、清河八郎率いる浪士隊が本陣とした新徳寺です。

テンション上がりすぎていたのか、新徳寺さんの写真を撮り忘れていました! 出展:ボクチャン20120524

近藤勇や土方歳三、沖田総司のほか、芹沢鴨一派が参加した浪士隊です。

上洛する将軍を警護することを目的として募った浪士隊でしたが、上洛後清河八郎は、ここ新徳寺で驚きの大演説をします。

「われらの本当の目的は、御所におわす帝の兵となり、攘夷を実行することである!」

清河は、幕府によって集められた浪士隊を、天皇の兵隊にしてしまおうとしたのです。

清河の裏切りを知った幕府は、即刻浪士隊に江戸へ帰ることを命じます。

しかしこれに応じずに京に残留したのが、のちの新選組となります。

いわばこの新徳寺は、新選組結成のターニングポイントとなった場所です。

現在新徳寺は、一般拝観を行っていませんが、今回は特別拝観をさせていただきました。

こちらも本堂内部の画像をお見せできませんので、想像してください

清河が、浪士隊の面々に大演説をぶち上げた本堂は、当時のままというお話です。

私たちは、その本堂で木村さんのお話を聞き、ご住職の説法を聞きました。

150年余り前のこの場所に彼らがいたなんて…。

思わず畳を撫でてしまいました(畳は絶対に替わってますけどね)

本堂奥の部屋は、清河八郎が20日余り逗留した部屋です。

江戸へ帰った清河は、のちの見廻り組の佐々木只三郎らに暗殺されます。

京に滞在している間、清河は何を考えていたのでしょうか。

2023年京の夏の旅は新選組ツアー!

毎年好評の「京の夏の旅」

2023年は、なんと新選組ツアーです!

今回紹介した前川邸の土蔵や新徳寺も拝観できるという新選組ファン垂涎のツアーとなっています。

夏は苦手ですが、私も参加しようかともくろんでいるところ…。

壬生寺で解散

新徳寺を出ると向かいの壬生寺へ。

今回のツアーは、ここ壬生寺で解散です。

簡単なアンケートに答えて、木村さんとまいまい京都のガイドさんにご挨拶をして解散しました。

約2時間半のミニツアーでしたが、楽しく興味深い時間を過ごすことができました。

せっかくですので、解散後は壬生寺へ参拝して、御朱印もいただいてから帰りました。

新選組屯所跡の八木邸は残念ながらこの日はお休み中(公用中って書いてありました!)でした。

初めてのまいまい京都ツアーの参加に、少し不安もありましたが、今までにない体験をさせていただき、参加してよかったと思っています。

京都巡りは、たいてい一人で(時々娘と二人で)気軽に気ままに動いていましたが、こんな風に同じことに興味を持っている人たちと、学びながら散策をするのもいいなと思います。

興味が出てきたあなたも、まずはまいまい京都さんのサイトへ訪れてみてくださいね。

まいまい京都公式サイト

 


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