民衆の寺として親しまれるがん封じ・病気平癒の因幡薬師 

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因幡堂 下京区
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因幡薬師は、烏丸五条から少し北へ入ったところにある寺院です。

町衆のお堂として古くから親しまれ、毎月8日の手作り市などで今も多くの参拝客でにぎわっています。

ビルに囲まれた町中に建つ歴史ある因幡薬師は、がん封じ・病気平癒のお寺として昔も今も町の人たちから広く信仰されています。

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因幡堂平等寺について

  • 正式名 因幡堂平等寺
  • 宗派 真言宗智山派
  • 開基 橘行平
  • 山号 福聚山
  • ご本尊 薬師如来立像
  • 通称 因幡薬師

因幡堂平等寺の歴史

因幡堂

因幡薬師の由緒には不思議な話があります。

平安時代中期の天徳3年(959)のことです。

中納言の橘行平が村上天皇の命で因幡国(現鳥取県)に行き、神事を斎行しました。

その帰路で病になった行平が、夢枕に立った見知らぬ僧侶のお告げに従い、因幡国賀留津の海から薬師如来像を引き上げます。

堂を建ててこの薬師如来をお祀りしたところ、行平の病は平癒し、無事に京へ戻ることが出来ました。

それからしばらくすると、因幡から行平を訪ねてきた者がありました。

行平が門を開くと、そこに立っていたのはあの薬師如来像だったのです。

行平は自分の屋敷にお堂を作り、薬師如来像をお祀りしました。

これが因幡薬師の始まりで、長保5年(1003)4月8日のことだったそうです。

薬師如来がいなくなったお堂は?

行平が因幡に建てたお堂には、後光と台座だけが残ったため、座光寺と改名したそうです。

座光寺は鳥取県鳥取市に現存し、中国四十九薬師霊場となっています。

この霊験談は、平安京の人々に広く知られ、当代の一条天皇のもとにも届きます。

天皇の信仰厚い寺院として隆盛したそうです。

因幡薬師正面の不明門通り

因幡薬師の本堂は、南面していてその正面の通りは不明門(あけずもん)通りといいます。

因幡堂

この通り名の由来には、激しい源平の争乱から非難するために、高倉天皇が因幡薬師のすぐ南にあった東五条院というお屋敷に住まわれたことが関係しています。

天皇が住んでいるところは、どこであろうと御所となります。

高倉天皇がいらっしゃる御所は、因幡薬師の南門からすぐのところ。

そこで、高倉天皇がお住まいになっている間、因幡薬師は御所に遠慮して南門を開けなかったそうです。

承安元年(1171)には、その高倉天皇より「平等寺」という名をいただき勅額も贈られています。

京都にはこのように天皇や時の為政者・権力者の行動に由来した通り名も多く存在しています。

読みにくい通り名や不思議な通り名の歴史を調べてみると、思いもよらない京都の別の顔が見えてきて、面白いですよ。

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因幡薬師の見どころ

今回私は、地下鉄「五条」駅から因幡薬師に向かいました。

五条通りから不明門通りに入しばらく歩くと、正面に大きな屋根の本堂が見えます。

因幡堂

勾配が急な大屋根は、遠くから見ても迫力十分。

ビジネス街の真っただ中にいることを忘れてしまうような、圧倒的な存在感です。

趣ある素敵な手水鉢

本堂にお参りする前に、まずはお清めです。

手水鉢は、本堂右手奥にあります。

苔むした手水鉢は、竹で囲まれてとてもきれい。

因幡堂

手と口以外に心も清められた感じ。

とても開かれたイメージの本堂

本堂の前にはお守りやおみくじなどが並べられ、私が訪れた9時頃にはすでに多くの観光客でにぎわっていました。

因幡堂

観光客の間を縫うように、お参り。

ふと上を見上げると、小ぶりの仏様がいらっしゃいます。

因幡堂

ご本尊の薬師如来像は本堂奥でよく見えない。

その代わりなのでしょうか。

右手には、大きな地蔵菩薩様。

因幡堂

こちらのお地蔵様は、子授けのご利益があるそうです。

日本三如来

ご本尊の薬師如来像は創建当初のもので、重要文化財です。

平安中期から後期にかけて仏師康尚(こうしょう)によって作られたという説もあります。

長野善光寺の阿弥陀如来像・嵯峨清凉寺の釈迦如来像とともに日本三如来のひとつとされています。

六猫

因幡堂

本堂前の可愛い猫たち。

六猫と書いて「むびょう」無病と読みます。

本堂の前に所狭しと並ぶお守りやおみくじには、可愛い小鳥柄や迷子札付きのペット守りも!

因幡堂

御朱印帖も可愛くて、どれも欲しくなってしまいます。

因幡堂

馬頭観音像

六猫と向かい合わせにいらっしゃるのが馬頭観音様です。

因幡堂

馬頭観音様のご利益は厄除や無病息災ですが、最近では亡くなったペットが無事天国(極楽)へ行けるようにとお参りする方も多いそうです。

よく見ると、観音様の足元にも猫ちゃんがいます。

境内のお堂

因幡堂平等寺境内には、本堂の他に観音堂地蔵堂があり、十九所権現・歓喜天・閻魔天などもお祀りされていますが、ほとんどの方が、本堂だけのお参りでおしまいです。

因幡堂

因幡堂

私が特に気になったのは十九所権現。

権現は神様、なぜお寺に神様?

因幡堂

由緒書きを見てみると…。

後白河法皇が行幸されたおりに、因幡堂平等寺の守り神として18柱勧請の院宣を出されたそうです。

その院宣が出されてすぐ、ある人(だれ?)の夢枕に西宮夷(えびす)の第一童子(蛭子)が自分も守り神になるとお告げされ、合計19柱になったということです。

お寺を守る神様が19柱。

天照大神から熊野権現、御霊まで、幅広い神様が一堂に会して因幡薬師をお守りしています。

明治以前は、お寺と神社・仏様と神様はとても仲良く、一緒にお祀りされていて普通でしたから。

こんなこともあるんですね。

このようにほかのお堂や像を見ればいろいろな歴史も分かって楽しい!

じっくり参拝しないなんてもったいない!

因幡薬師境内略図

因幡堂

因幡堂平等寺の御朱印

因幡堂平等寺の御朱印は、「因幡薬師」、切り絵の「馬頭観音」などがあります。

その他には、洛陽三十三観音霊場・京都十三佛霊場・京都十二薬師霊場の御朱印も授与しています。

私は、こちらの2種類をいただきました。

因幡堂 御朱印

洛陽三十三観音霊場の御朱印です

因幡堂 御朱印

三十三観音霊場は、集め始めて5年。

コロナの時期を挟み、仕事の合間に少しずつしか回れないので、まだ満願となっていません。

あと少しなんですが…。

因幡薬師手作り市

古くから町堂として庶民に親しまれてきた因幡薬師では、境内で狂言や歌舞伎が行われていた時期もあり、一説には浄瑠璃発祥の地とも。

市が開かれたときには見世物小屋などもあったそうで、さぞにぎやかっだったのでしょうね。

幕末には新選組の芹沢鴨が見世物小屋にいた虎に吠えられ「しし(志士・攘夷志士たち)より怖い」とおどけた逸話も残っているとか。

でも近年はそれほどの賑わいもなかったため、ご近所さんからの提案で平成13年(2001)から毎月8日に「因幡薬師手作り市」が開催されるようになりました。

毎年1月8日は「初薬師」12月8日は「終い薬師」として一段と盛り上がっています!

もしタイミングが合えば、一度訪れてみたいですね。

ちなみに開催時間は9:00~16:00(雨天決行)となっています!

その他の年中行事

因幡堂平等寺で行われる主な年中行事は…。

  • 節分法要(2月3日19:00~)
  • 花祭り(4月8日)
  • 神仏御璽祭(9月彼岸中の日曜日)
  • 狂言会(10月8日)

などです。

神仏御璽祭(しんぶつぎょじさい)とは、因幡堂平等寺と八幡の石清水八幡宮による神仏合同祭です。

鎌倉時代には、ご本尊の薬師如来と石清水八幡が同じものであるという考えがあったのですが、明治の廃仏毀釈により廃れてしまっていました。

それを復活させるために始まったのが、神仏御璽祭というわけです。

長い歴史の中で培われてきた神様と仏様の関係は、そう簡単には壊れるものではないのだと思います。

因幡堂平等寺の基本情報

今回紹介した因幡薬師は、六角堂や革堂と同じように京都市民に親しまれている町堂。
観光客であふれかえる寺社とは異なる親近感あふれる優しい空気を、ぜひ味わってみてください。

  • 住所 京都市下京区因幡堂町828
  • 開門時間 6:00~17:00
  • 社務所受付 9:00~17:00(ご朱印は16:00まで)

アクセス

  • 最寄り駅 市営地下鉄「五条」「四条」/阪急「烏丸」徒歩約5分
  • バス 「烏丸松原」徒歩すぐ

バス・鉄道乗換案内 https://www.arukumachikyoto.jp/

下京区京の寺社京歩き
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小春

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