東山五条を清水寺へ向かう途中、「ちゃわん坂」の道しるべ近くに安祥院(日限地蔵)があります。
観光客は清水寺へまっしぐらに進むため、つい見過ごしがちですが、立派な石垣が結構な存在感を持っていますよ。
今回は、地元の人が親しみをこめて「ひぎりさん」と呼ぶ安祥院を紹介しますね。
安祥院の由縁
正式には、東山安祥院木食寺(ひがしやまあんしょういんもくじきでら)という浄土宗のお寺です。
平安の中期、天慶5年(942年)朱雀天皇の勅願により、天台座主尊意(そんい)が乙訓郡大藪郷(現在の南区久世大藪町)に創建した仁王護国院が起源とされています。
その後しばらく衰退しますが、鎌倉時代の文永年間に浄土宗の連寂上人(れんじゃくしょうにん)により再興されます。
それから南北朝の戦火により廃絶していたところ、江戸時代の享保10年(1725年)、木食正禅養阿上人(もくじきしょうぜんようあしょうにん)が現在の地に移転させ中興しました。
ご本尊の阿弥陀如来は、養阿上人の作と伝わっています。
木食とは、五穀を絶ち、木の実を常食とすることで、非常に厳しい修行の1つです
安祥院のみどころ
安祥院の山門にど~んと釣り下がっている提灯には「日限地蔵」という大きな字がとても目立ちます。
日限地蔵
阿弥陀如来がお祀りされている本堂の左横には地蔵堂があります。
中に安置されている地蔵菩薩像は、享保15年(1730年)、霊元天皇らの寄進を受けて養阿上人が作ったもので、高さが2.6mもあります。
日数を限って祈願すると、願い事がかなうと言われ、「日限地蔵」と呼ばれ、広く信仰を集めています。
養阿上人の墓
安祥院で即身成仏した養阿上人の墓塔があります。
即身成仏とは非常に厳しい修行の末、究極の悟りを開き、現世の肉体を持ったまま仏になることです。
即身仏(修行者が迷走をし続けて成仏を願いながらミイラ化すること)とは違います
梅田雲浜の墓
梅田雲浜(うめだうんぴん)は、幕末の攘夷志士で、若狭小浜藩士です。
吉田松陰とも交友があり、幕藩体制を批判したことなどにより、京に滞在中「安政の大獄」で捕らえられました。
その後江戸に送られ、獄中死しています。
安祥院のお墓には、雲浜の遺髪とともに、妻信子が葬られています。
『安祥院』には梅田雲浜のお墓がある。儒学者で尊王攘夷の志士。安政の大獄で逮捕される。吉田松陰と交流があり、それがきっかけで松陰は斬首刑に。弟子に古高俊太郎も。生誕200年、文献が少ないそう。有名ではないけど日本の歴史の導火線かな? pic.twitter.com/ZzDQ1qyeG3
— ゆきえ@京都 (@yukie_sa) August 15, 2016
大高忠兵衛の墓
幕末の尊攘派。
梅田雲浜との交流もあり、諸藩の尊攘派の連絡役をしていました。
元治元年(1864年)の池田屋事件の際、新選組に捕縛され、六角獄舎に入れられたのち獄死しています。
京都市指定保存樹木 ヤマザクラ
山門を入ってすぐの見えてくる大樹がヤマザクラです。
ヤマザクラとオオシマザクラの自然交配種で、樹齢100年以上という貴重な木です。
車石と橋げた
養阿上人は、社会事業に尽くしたことでも知られています。
現在の蹴上~山科へと抜ける旧国道1号線にあたる東海道日ノ岡峠の改修工事で実際に使われた車石や西京極の旧天神川に掛けた佃橋の橋げたが置かれています。
安祥院の基本情報
洛陽六阿弥陀めぐり 第4番
通称寺の会
境内自由・拝観無料
拝観時間 8:00~17:00(冬期は16:00)
本堂阿弥陀如来を参拝できるのは功徳日とお彼岸のみ
功徳日(1月15日・2月8日・3月14日・4月15日・5月18日・6月19日・7月14日・8月15日・9月18日・10月8日・11月24日・12月24日)
終わりに
京は、東山清水にある安祥院(日限地蔵)を紹介しました。
2020年7月現在、コロナウイルスの感染はいまだ収束せず、京都の町も以前とは比べものにならないくらいです。
安祥院も以前とは少しだけ違っているところがあるようですのでご注意くださいね。
本日の茶わん坂は、少し賑わいを取り戻しています。常連さんにも、お会い出来ました(^o^)
お店の向かいにある、安祥院さん。日限地蔵さんが中にあります。正面の柵は前は無かったのですが、横の入口からお参りできますよ。#清水寺#京都観光#茶わん坂#梅田雲濱 pic.twitter.com/Q4Z06Jioni— 京都一ツ家 (@U7pvTjZi7YcEHOP) June 21, 2020
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