京都の新京極とは、明治の初めに生まれた新しい通り「新京極通り」のことです。
また、三条通りから四条通り間の新京極通りを「新京極商店街」と呼び、土産物屋やシネマコンプレックス、飲食店が立ち並ぶとても賑やかな通りとなっています。
そんな新京極商店街に、ポツンポツンとたたずむ趣ある寺社をご存じでしょうか。
今回は、気軽に参拝できる新京極八社寺めぐりについて詳しく紹介します。
新京極八社寺めぐりとは?
新京極通りには、北から
誓願寺・誠心院・西光寺寅薬師・蛸薬師堂永福寺・安養寺逆蓮華・善長寺・錦天満宮・染殿院
という7つの寺院と1つのお宮があります。
現代的なお店のすぐ横に由緒ある寺社が並んでいる不思議な光景が、京都では当たり前なのですが、新京極通りを歩く多くの人々は、寺社の存在自体に気づいていらっしゃらないようです。
そこで少しでも京都・新京極の素敵な文化に触れてもらおうと始まったのが、「新京極八社寺めぐり」です。
八社寺めぐりは、北、もしくは南から八社寺をめぐり、ご朱印をいただくというとても簡単な方法です。
運が良ければ、半日ほどですべての御朱印をいただけて、達成感もばっちり!
私もその達成感を求め、やる気満々で新京極へ繰り出しました。
ところが…、まあいろいろとありました。
四条通りから北行で八社寺めぐりへ
今回は、京阪本線「祇園四条」駅を下車し、四条通から新京極へ入り、北行することにしました。
最も南に位置するのは、染殿院ですが、まずは新京極オリジナル御朱印帖を購入するために、印鑑・手作りスタンプの田丸印房さんへ。
御朱印帖には、ピンクとブルーがあり、本当はピンクが欲しかったのですが、ブルーしか在庫がないということで、そちらを購入。
染殿院
まずは染殿院へ行こうと思いましたが、なぜか見つからない💦
仕方がないのでもう一度四条まで戻ってみることに。
すると、四条通から新京極へ入ってすぐの西側にありました!
これは見過ごしそうです。
でも少し中へ入ると、風情あるお社があり、とてもいい雰囲気でした。
本堂に参拝してふと振り返ると、四条通が見えます。
なんとこの染殿院、四条通に面している林万昌堂(甘栗で有名!)さんの店舗の奥に位置しているのです。
四条通りからは、林万昌堂さんのお店を通って入ることができます。
染殿院の由緒
染殿院は、平安中期の大同3年(808年)に弘法大師空海によって建立されました。
その約50年後、文徳天皇の皇后藤原明子(染殿皇后)は、子宝に恵まれず悩んでいたところ、染殿院のお地蔵様に祈願して、のちの清和天皇を身ごもったと言われています。
以後、安産のお地蔵さんとして篤い信仰を受け、特に女性の参拝者が絶えません。
染殿院 基本情報
- 拝観自由 火・水は閉門
- 開門時間 10:00~18:00
御朱印
染殿院の御朱印には、安産の象徴とされる犬が描かれ、ご朱印に貼られたQRコードを読み取ると、とてもいいことが起こりますが、それは秘密!
気になる方はぜひ参拝にいらしてください。
染殿院公式サイト http://www.somedonoin.com/
錦天満宮
錦天満宮は、錦市場のある錦通りの東の端にもあたり、多くの提灯が飾られているので、すぐにわかります。
一歩中に入ると繁華街にあるとは思えない素敵な境内です。
ご祭神の菅原道真公にあやかり、境内には梅の花やご神牛も。
人が近づくと、神楽が鳴り出し、獅子舞が躍る「からくりおみくじ」やボタンを押すと始まる「紙芝居ロボット」など、とても楽しい仕掛けがいっぱいあります。
錦通りを振り返ると、「ブラタモリ」で有名になったビルにめり込んだ石鳥居が見えます。
それほど広くない境内ですが、ゆっくりと見回れば20~30分はかかりそうですよ。
錦天満宮の由緒
錦天満宮は、菅原道真公が亡くなったとき、菅原公の父の邸だった菅原院を歓喜寺としたことに始まります。
長保5年(1001年)には、源氏物語の光源氏のモデルとなったと言われる源融公(みなもとのとおる)の邸跡・六条河原院へ移され、天満大自在天がお祀りされます。
天正年間になり、豊臣秀吉の京の都市改革により、現在地へ移りました。
以来「錦の天神さん」として、京の人々に親しまれています。
錦天満宮 基本情報
- 拝観自由
- 拝観・開門時間 8:00~20:00
御朱印
錦天満宮の御朱印は、通常書置きのみの1種類です。
錦天満宮公式サイト https://nishikitenmangu.or.jp/
善長寺
善長寺は門から奥まったところにお堂があり、少し入るのを躊躇するような雰囲気がありました。
境内はとても静から、繁華街の喧騒はほとんど聞こえません。
正面のお堂には、立江地蔵(たちえじぞう)尊が、お堂に向かって右には北向き地蔵尊をお祀りしたお堂がありました。
御朱印は、呼び鈴を押していただくのですが、この日は不在だったようで、残念ながらいただけませんでした。
善長寺の由緒
善長寺の創建は永正年間で、開基は顕興忍想とされています。
現在地には、天正19年(1591年)秀吉の命により移され、以後徳川家康が上洛した際の定宿だったそうです。
古くから子供の疱瘡(天然痘)治癒の信仰があり、「くさがみさん」と呼ばれています。
善長寺 基本情報
- 拝観自由 御朱印授与時間は随時
- 御朱印:1種類(書置き)
安養寺(逆蓮華)
安養寺には、新京極通りと蛸薬師通りの2ヵ所から入ることができます。
特に新京極通りからの入り口は少しわかりにくいので、気を付けてください。
お堂は、コンクリート作りであまり風情はありませんが、由緒の古い寺院で、平安中期ごろにまでさかのぼることができます。
ご本尊の阿弥陀如来の蓮華台座がさかさまになっていることから、逆蓮華(さかれんげ)という別名があります。
御朱印は、奥の普通の玄関でいただけるので、ちょっと勇気がいります。
今回はご不在でした。
安養寺 逆蓮華の由緒
安養寺は、寛仁2年(1018年)に恵心僧都源信が、今の奈良県当麻(たいま)に建立した華台院を始まりとしています。
その後、恵心僧都の妹・安養尼が引き継いだことにより、安養寺と名を改め、天正年間に現在地に移されました。
逆蓮華に座しておられる阿弥陀如来像は、2階のお堂にお祀りされており、通常はガラス戸が締まっているためにお顔を見ることは難しいです。
近くで拝ませていただけるのは、洛陽六阿弥陀仏の功徳日のみとなっています。
安養寺 基本情報
- 境内自由
- 御朱印:通常2種類 授与は随時
蛸薬師堂 永福寺
蛸薬師堂永福寺は、新京極通りの東側に位置し、提灯がたくさんかかっているので、すぐにわかります。提灯の灯りで少し紅色っぽい雰囲気があり、とてもきれいなお堂でした。
こちら、写真撮影はあまり歓迎されませんので気を付けてください。
私も初めは気づかずに何枚か撮影をしていたのですが、途中からは遠慮しました。
蛸薬師堂 永福寺の由緒
蛸薬師通りという名は、この蛸薬師堂が由来となっていますが、ではなぜ永福寺が蛸薬師堂と呼ばれるようになったかというと、このような出来事があったからです。
昔この寺院にいた若く親孝行な僧の病気がちの母がタコを食べたいと願いました。
殺生を禁じられている僧侶がタコを買うことなどあってはならなかったのですが、その僧は、内緒でタコを買いました。
しかし、その様子を見とがめられたため、僧は日ごろから信仰していた薬師如来様に祈りました。
するとタコは、薬師経というお経に変わり、僧の疑いが晴れ、その母の病気も治ったことから、このお堂は蛸薬師堂と呼ばれ、篤い信仰を受けるようになりました。
蛸薬師という名がついた由来は、諸説あるのですが、このお話が最も有名です。
こちらの御朱印は、10種類以上もあり、選ぶのが大変です。
阿弥陀如来様、蛸薬師如来様、愛染明王様、不動明王様などなど。
なので、あなたの願い事に合わせた御朱印を選んでみてください。
蛸薬師堂 永福寺 基本情報
- 境内・堂内自由
- 拝観時間 8:00~16:30
御朱印
蛸薬師堂永福寺の御朱印は、通常で11種類ほどありますが、今回は蛸薬師如来様の御朱印をいただきました。
蛸薬師堂永福寺公式サイト http://www7a.biglobe.ne.jp/~takoyakusido/
西光寺 寅薬師
西光寺寅薬師は、蛸薬師堂永福寺から少し北に歩いたところにあります。
普通の町屋のような門をくぐり、奥へ行くとご本尊の阿弥陀如来像と右に寅薬師如来像がお祀りされています。
本堂にはお参りできましたが、この日は法事の予定があるために、御朱印の授与はお休みでした。
残念!
西光寺寅薬師の由緒
西光寺寅薬師は、弘安年間(1278~1287年)に後宇多天皇より下賜された寅薬師如来像を安置するために建てられた御倉堂が始まりです。
像は、弘法大師空海の作と伝わっており、成就した(完成した)のが、寅の日・寅の刻だったことから寅薬師と呼ばれているそうです。
歴代の天皇から篤い信仰を受け、この西光寺に下げ渡された寅薬師如来像は、開運繁栄の運気を授け、無病息災・病気平癒のご利益やいただけると言われています。
西光寺寅薬師 基本情報
- 境内自由
- 拝観・開門時間 10:00~16:30
- 御朱印:通常2種類
誠心院
誠心院は、平安時代中期の女流歌人・和泉式部ゆかりの寺院です。
境内の入り口横には、お願い事をしながら回すとその願いが叶うとされる「鈴成り輪(すずなりぐるま)」があり、参道には、和泉式部の一生が描かれた絵があります。
境内には、和泉式部の墓碑や歌碑もあります。
小御堂(本堂)の右隣には、役行者像が鎮座していました。
和泉式部の墓碑は、小御堂左の参道を奥へ行くと見えてきます。
御朱印は、小御堂裏にある寺務所でいただけます。
誠心院の由緒
誠心院は、藤原道長が娘・章子に仕えていた和泉式部のために、今の御所東側にあった東北院内に小庵を建てたのが始まりとされています。
和泉式部の死後、その法名を取り、誠心院と名付けられました。
天正年間に秀吉の命により、現在地に移転しています。
誠心院 基本情報
- 境内自由
- 拝観・開門時間 7:00~18:00
御朱印
御朱印は通常1種類で授与受付は9:00~17:00となっています。
誠心院公式サイト https://www.seishinin.or.jp/
誓願寺
新京極八社寺めぐり、最後は誓願寺です。
八社寺の中で、最も有名な寺院で、場所もちょうど新京極六角広場に面しているので、とてもわかりやすいです。
門の横には、迷子道しるべ石。
迷子になった子を見つけたり、落とし物を見つけたときは、この石の右側に、子が迷子になって探したり、物を亡くした場合は、左側に紙を貼っていたそうです。
境内に入ると、見上げるように本堂がど~んと建っています。
お堂の中に入ると、思っていた以上に大きな阿弥陀如来様が、またまた迫ってくるような迫力で鎮座されていました。
圧倒されてしばらくじっと見とれていたくらいです。
「この仏様、なんか好きやなぁ」と思いながら、ゆっくりとお参りした後、堂内の寺務所で御朱印をいただきました。
誓願寺の由緒
誓願寺は、今から約1300年前の飛鳥時代に、天智天皇の命により創建された奈良の寺院でした。
鎌倉時代初期に京都の小川一条(上京区元誓願寺小川西入ル)に移転され、天正年間に秀吉の命により、現在地に移されました。
平安時代には、清少納言や和泉式部、安土桃山時代には秀吉の側室・松の丸殿が帰依したことから、女人往生の寺として知られています。
京都の中心地に位置する誓願寺は、創建以来度重なる火災に見舞われてきましたが、そのたびに多くの信者によって再興されてきました。
ご本尊の阿弥陀如来像も火災で焼失したため、現在のご本尊は、石清水八幡宮にお祀りされていた阿弥陀如来像が、明治2年(1869年)に移されたものです。
本堂に正座をして、目の前の丈六(約6.5m)の大きな阿弥陀如来像を仰ぎ見ると、まるで阿弥陀様が上から覆いかぶさって来るのではないかと思うほどの迫力があります。
誓願寺 基本情報
- 境内自由
- 拝観・開門時間 9:0~17:00
御朱印
御朱印は通常6種類、今回は節分限定の御朱印が特別授与されていましたので、そちらと洛陽三十三観音霊場の御朱印をいただきました。
誓願寺公式サイト https://www.fukakusa.or.jp/
新京極八社寺めぐりマップ
御朱印は、一度にすべての寺社で授与していただけるかどうかは、運次第ですが、八社寺をめぐるだけなら、ゆっくり歩いても半日あれば十分です。
ちょっとした散策にもおすすめですので、興味のある方は一度チャレンジしてみてくださいね。
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