【京都の寺社】勝運と馬の神様 藤森神社

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京の寺社
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藤森(ふじのもり)神社は、京都市伏見区の深草地区にある神社です。

「菖蒲の節句」発祥の地とされ、毎年5月5日の藤森祭では勇壮な駆馬神事が奉納されることでも知られています。

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藤森神社の御祭神と由緒

藤森神社の本殿は中座・東座・西座に分かれており、御祭神としてお祀りされている神様は12柱いらっしゃいます。

御祭神

本殿(中座)

  • 素戔嗚尊(すさのおのみこと):天照大神の弟神で荒ぶる神とされる
  • 別雷命(わけいかずちのみこと):厄除け・災難除けの神、上賀茂神社(賀茂別雷神社)の御祭神としても有名
  • 日本武尊(やまとたけるのみこと):『古事記』『日本書紀』などに登場する古代の英雄・大和政権を統一するために活躍した
  • 応神天皇(おうじんてんのう):神功皇后の御子。源氏の氏神でもある
  • 仁徳天皇(にんとくてんのう):応神天皇の第4皇子で非常に慈悲深い名帝として知られる
  • 神功皇后(じんぐうこうごう):三韓征伐により朝鮮半島を服属させたとされる古代の女性将軍。第14代仲哀天皇の皇后
  • 武内宿彌(たけのうちのすくね):景行天皇から仁徳天皇までの5代と神功皇后に仕えたとされる伝説の人物。三韓征伐にも従軍

神鎧(かむよろい)像

東殿(東座)

  • 舎人親王(とねりしんのう):天武天皇の第6皇子で『日本書紀』編纂事業の総裁を務める
  • 天武天皇(てんむてんのう):壬申の乱に勝利し、律令国家の基礎を作った天皇とされている

西殿(西座)

  • 早良親王(さわらしんのう):桓武天皇の実弟。藤原種継暗殺事件関与の疑いで幽閉されるが、無実を訴えながら餓死している
  • 伊豫親王(いよしんのう):桓武天皇の第3皇子。謀反の疑いをかけられて幽閉されたのち自害している
  • 井上内親王(いがみないしんのう):聖武天皇の第1皇女。光仁天皇を呪詛した疑いで幽閉されたのち子の他戸親王(おさべしんのう)と共に毒殺される

由緒

藤森神社は西暦203年、三韓征伐から戻ってきた神功皇后が山城国深草・藤森の里に軍の大旗を立て、兵具を納め、塚を作って祭祀を行ったのが始まりとされています。

創建当初は7柱を御祭神とする本殿のみでしたが、のちに2つの社が合祀されました。

東殿合祀

舎人親王と天武天皇を御祭神とする社は、天平宝字3(759)年に深草の里藤尾に鎮座しました。

藤尾とは現在伏見稲荷大社がある場所です。

伏見稲荷大社

永享10(1438)年に後花園天皇の勅命により、将軍・足利義教(よしのり)が山頂にあった稲荷の祠を稲荷山ふもとの藤尾へ遷座し、もともと藤尾にあった藤尾社を藤森に遷座し、現在の藤森神社東殿にお祀りされました。

舎人親王は日本最初の学者として『日本書紀』編纂を行ったほか、『万葉集』に3首の和歌が載せられる歌人でもあります。

まだ武勇にも優れ、皇室からも篤い信仰を受けていました。

狛犬の台座に刻まれている舎人親王らしき人物と馬

西殿合祀

無実を訴えながら亡くなった早良親王は、その祟りを恐れた朝廷から延暦19(800)年に崇道天皇(すどうてんのう)の追号を受け、塚本の地(現在の東山区本町16丁目・東福寺周辺)にお祀りされました。

その後伊豫親王と井上内親王の2柱も合祀されますが、何度も火災に遭ったため、塚本から小天王(現在の深草西出町付近)に移ります。

しかしそこも応仁の乱で焼失したため藤森に遷都され、西殿にお祀りされることとなったそうです。

これらの由緒から、藤森神社の氏子は、深草地区・稲荷地区・東福寺周辺にも広がっています。

また伏見稲荷大社があった場所はもともと藤森神社の土地であったとされ、現在の藤森祭の神輿が伏見稲荷大社へ巡拝するという珍しい光景につながっています。

藤森神社の御神徳

毎年5月5日に行われる藤森祭は、菖蒲の節句発祥の祭とされています。

菖蒲は「勝負」に通じることから勝運の神として、また日本最初の学者である舎人親王をお祀りしていることから学問の神としても信仰されています。

藤森祭で奉納される駆馬神事から馬の神としても信仰を集め、競馬ファンだけでなく騎手・馬主からも篤く信仰されています。

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境内の見どころ

藤森神社は、南門と直違橋(すじかいばし)通りに面した西門の2ヶ所の入口があります。

こちらでは本殿正面に続く南門から紹介しましょう。

扁額がない南門

寺社の入口である鳥居には、寺社の名前などが描かれた額(扁額:へんがく)が掲げてあるのが一般的ですが、藤森神社南門には扁額がありません。

よく見るとおそらく扁額が掲げてあったであろう跡はあるのですが、今は何もない!

かつては御水尾天皇御宸筆(しんぴつ)の扁額があったそうで、大名たちは一旦下馬したり、駕籠から下りたりしてこの門の前を通っていたのです。

ところが幕末の動乱期、新選組局長・近藤勇が「こんな悠長なことはやってられない!」と、扁額をはずさせたとか。

以来扁額が戻ることはなく今に至っています。

近藤は藤森神社からほど近い墨染の地で、恨みを持っていた元新選組隊士の銃撃を受け、右肩に重傷を負っているのですが、これって、扁額を外させた罰なのかもしれませんね。

駆馬神事が行われる参道

南門をくぐった先には拝殿・本殿へ向かう真っすぐな参道があります。

手前には、こんな看板が。

馬の神様・藤森神社ならではの珍しい看板です!

この参道では、毎年5月5日の藤森祭の駆馬神事が行われ、大変な人出になります。

皇室ゆかりの美しい本殿

御祭神12柱がお祀りされている本殿は、中御門天皇より下賜された京都御所賢所(かしこどころ)で、現存する最古の賢所と伝わっています。

賢所とは?
三種の神器の1つ「八咫鏡(やたのかがみ)をお祀りする宮中殿所。内侍所(ないしどころ)とも言う

檜皮葺で曲線が美しい切妻造りの本殿は京都市指定有形文化財に登録されています。

本殿手前の拝殿は、中央に土間があり通行することができる割拝殿という造りです。

割拝殿を通して見える本殿がなんとも風情があります。

神功皇后ゆかりの旗塚

本殿の東には神功皇后が軍旗を立てたと伝わる旗塚があります。

中央には大きな木の切り株がありますが、これは櫟(いちい)の木。

お参りすると腰痛が治るとされ、地元では「いちのきさん」と呼ばれ親しまれています。

先ほども登場した近藤勇もこの「いちのきさん」にお参りして腰痛を治したとか…。

御神水 不二の水

旗塚の東には藤森七福神、側には御神水の不二の水が地下約100mから湧き出ています。

二つとない水という意味で「不二」の水と名付けられた御神水は、今も遠方から汲みに来られる方が少なくないそうです。

摂社・末社

本殿をぐるっと囲むようにあるのが、摂社・末社です。

旗塚の東に藤森稲荷社。

本殿東奥から

  • 八幡宮社 足利義教の造営
  • 祖霊社 藤森神社に功労・功績があった方をお祀りする社
  • 七宮社(座王社・広田社・諏訪社・厳島社・住吉社・熊野社・天満社)
  • 大将軍社 方除けの神様/足利義教の造営。御祭神は磐長姫命(いわながひめのみこと)で、都の南方を守護するためにお祀りされた
  • 天満宮社

と並んでいます。

大将軍社

舎人親王崇敬碑

本殿の西側には、藤森神社鎮座1800年並びに式年遷宮50年を記念して建てられた「舎人親王崇敬碑」があります。
文武両道に優れた舎人親王は、公家・武家・庶民から広く信仰される神様となっているのです。

舎人親王崇敬碑の隣に立つ金太郎像

神馬像と手水舎・絵馬舎

紫陽花まつり期間は紫陽花の花手水になります

参拝の前にお清めするための手水舎では馬の口から水が流れ、手水舎の横には神馬像。

絵馬舎には、奉納されたたくさんの馬の大絵馬が掲げられています。

絵馬は色鮮やかなものから歴史を感じるものまで、さまざまです。

絵馬舎の向かい、参集殿・宝物殿の前にある自動販売機にもさっそうと走る馬。

まさに馬の神様・藤森神社です。

見逃し厳禁!宝物殿

藤森神社の宝物殿には、重要文化財の紫絲威大鎧(むらさきいとおどしおおよろい)をはじめ、大筒や鎧、刀などの社宝約100点が展示されています。

馬にちなんで日本各地の馬の郷土玩具や世界各国の馬のミニチュアなどが展示された馬な博物館が併設。

展示の刀剣には、藤森神社ゆかりの鶴丸国永の写しもあります。

これだけの見ごたえがありながら、無料(御志納)で拝観可能です。

参拝の際はぜひ宝物殿へお立ち寄りください!

おすすめの行事・祭事

藤森神社最大の祭事は、もちろん藤森祭。

5月5日 藤森祭

この日に行われる駆馬神事は、早良親王が征討将軍として反乱を起こした陸奥国へ出陣する前に藤森神社に詣でて戦勝祈願をしたことが由来となっています。

参道を疾走する馬の上で、横乗り・手綱くぐり・逆乗り・逆立ちなどさまざまな技を見せる迫力満点の神事です。

朝から氏子地域を巡幸する武者行列・神輿も見逃せません。

御祭神・早良親王東征の行装や神功皇后凱旋の行装など華麗な衣装をまとった人々が練り歩きます。

 2月 節分祭

2月の節分に行われる節分祭も毎年多くの参拝客が訪れ大変な賑わいとなります。

節分祭の斎行の神事ののち、藤森太鼓保存会による藤森太鼓の演奏や雅楽・舞の奉納、クライマックスが追儺(ついな)式。

大音響と照明の中で鬼たちが暴れまわり、見ている子供たちが泣いてしまうほどの迫力です。

吉田神社や蘆山寺に勝るとも劣らない藤森神社の追儺式。

機会がありましたら是非ご覧ください。

6月 紫陽花まつり

藤森神社の境内には、参道わきの第一紫陽花苑(藤勝苑)と本殿裏手の第二紫陽花苑があり、6月には約3500株の紫陽花が咲き誇ります。

第一紫陽花苑は数年前に藤棚や花菖蒲エリアが加わり、合わせてバリアフリー化もされていっそう紫陽花を楽しめる庭園となりました。

6月15日には紫陽花まつりが斎行され、神事や雅楽・舞の奉納、蹴鞠なども披露されます。

紫陽花苑開園期間中に刀剣乱舞コスプレイベントなどが開催されることもあり、見事なコスプレファッションを楽しめるチャンスもあります。

藤森神社の御朱印

最後は御朱印の紹介です。

藤森神社の御朱印には御社紋である「上がり藤に一文字」の御朱印が押された「藤森大神」(舎人親王)の御朱印のほか、「鶴丸国永」や紫陽花まつり期間限定の御朱印などがあります。

社務所の方に許可をいただいて撮影しました

藤森神社は神社名が表す通り、昔は藤の花が咲き誇っていたと伝わります。

また、藤は寿命が長く繁殖力も強いことから、縁起が良いとされる植物です。

その藤の花が左右から丸く立ち上がるように描かれた紋は、まさに藤森神社にふさわしいものと言えるでしょう。

京都刀剣めぐりの格好良い御朱印

京都刀剣めぐりとは、刀剣にゆかりのある京都市内の4社をめぐり、特別御朱印をいただくイベントです。

令和3年にいただいた京都刀剣めぐり藤森神社の御朱印

平成27(2015)年から不定期に開催され、令和7(2025)年で10周年となります。

御朱印がいただける神社は

  • 藤森神社
  • 粟田(あわた)神社
  • 豊国(とよくに)神社
  • 建勲(たけいさお)神社

で、それぞれの神社にゆかりのある刀剣御朱印が授与されます。

 

こちらの御朱印は毎回デザインが変わるため、その都度授与していただいている強者もいらっしゃるほどの人気です。

過去の御朱印は藤森神社宝物殿に展示されています。

特に10周年となる令和7年は、4社すべての御朱印をいただくと特製の扇もいただけるという特別企画となっていて、刀剣に興味のある方だけでなく、御朱印集めが趣味の方にもおすすめのイベントです。

藤森神社の北にはインバウンドで大混雑の伏見稲荷大社があります。

地元住民の方でも気軽に参拝しにくくなった伏見稲荷大社に比べると、とても気軽に訪れることができる、でも見どころたっぷりの藤森神社。

洛南・伏見周辺を訪れる際には、ぜひ藤森神社にも足を延ばしてみてください。

藤森神社 基本情報

  • 住所  京都市伏見区深草鳥居崎町609
  • 電話  075-641-1045
  • 境内自由
  • 社務所受付  9:00~17:00
  • 公式ホームページ https://fujinomorijinjya.or.jp/

アクセス

  • 最寄り駅 京阪本線「墨染」徒歩約7分/JR奈良線「藤森」徒歩約5分
  • バス 「藤森神社前」徒歩すぐ

鉄道・バス乗換案内 https://www.arukumachikyoto.jp/

 

京の寺社伏見区
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小春

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