京都 豊臣秀吉を祀る豊国神社と幻の京都大仏

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京都の東山区にある豊国(とよくに)神社は、「豊国大明神」という神号を下賜された豊臣秀吉を祀っている神社です。

秀吉が亡くなり、豊臣家が滅亡したことで一時は荒廃の一途をたどるばかりの社でしたが、今では数多い東山の観光スポットの1つとなっています。

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豊国神社の由緒

慶長3年(1598年)、豊臣秀吉が亡くなると、その死は伏せられたまま伏見城に安置されていました。

翌慶長4年4月13日、秀吉の遺体は遺命に従って、東山の方広寺(大仏殿)の東にある阿弥陀ケ峰山頂に埋葬されました。

豊国廟へ続く階段

そして、木食応其により阿弥陀ケ峰麓に廟所が建立されました。

同年4月16日には、朝廷から「豊国乃大明神」という神号が下賜され、18日に遷宮の儀式が執り行われて、「豊国神社」と命名されました。

しかし、慶長20年(1615年)、大坂の陣で豊臣家が滅亡すると、徳川家康は神号を廃し、神社の所領は幕府が没収します。

秀吉は「神」ではなくなったため、戒名がつけられてその霊は、方広寺南東に立てた五輪石塔に遷されました。

しかし、秀吉の遺体は阿弥陀ケ峰山頂に遺され、現在もその頂から京の町を見守っているということです。

不遇の時を経て再生する神社

江戸幕府の統治下においては、参拝さえ憚れるような状態で、豊国神社は朽ちる一方でした。

しかし明治元年(1868年)、明治維新により徳川幕府が倒されたことで大きく変化します。

明治天皇が大坂に行幸した際、秀吉を称賛するお言葉を発されます。

「皇威を海外に宣べ、数百年たってもなお寒心させる、国家に大勲功ある今古に超越するもの」

「天下を統一して頂点に立ちながら、天皇を尊重した今昔の歴史の中でも大変に功績のある人物」とほめたたえたのです。

そして、豊国神社の再興の命令が下され、明治13年(1880年)に方広寺の大仏殿跡地である現在の場所に再建されました。

方広寺について

ここまでに何度か登場している方広寺について、少し説明しておきますね。

方広寺は、秀吉が大仏を安置するために建立した寺院です。

天正14年(1586年)に、松永久秀が奈良の東大寺を焼き討ちし、大仏が大きな被害を受けました。

そのため、秀吉は、東大寺の大仏に替わる大仏の建立を発願しました。

戦国時代の真っただ中、たびたび中断しながらも文禄4年(1595年)に無事完成しました。

秀吉の威光は、方広寺大仏殿の石垣の大きさからも偲ぶことができますよ

この時の大仏は、東大寺大仏よりも大きく、約19mもあったそうです

しかし完成翌年に起こった慶長伏見大地震で倒壊、再び大仏が建立されるのは、秀吉が亡くなり、徳川幕府の世となっていた慶長17年(1612年)でした。

後は開眼供養を待つばかりの慶長19年(1614年)、完成したばかりの梵鐘の銘文が問題となります。

「国家安康」「君臣豊楽」の文章です。

家康の文字を分断し、豊臣家を再び君主とするような願いがこもっているのではないかというほとんど言いがかりのような文句を言われます。

これがのちの大坂の陣につながり、豊臣家を滅亡に追い込んでしまうのです。

幸い、大仏自体は豊臣家が滅亡した後も残されましたが、再び地震で倒壊。

今度は木像の仏像が再建されますが、これも100年余りのちに落雷により焼失しました。

以来、大仏は幻となりました。

豊臣家滅亡の引き金となってしまった、梵鐘は今でも残っていて、間近で見ることができます。

 

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豊国神社の見どころ

豊国神社でまず紹介するべきは、こちらですね。

唐門(国宝)

豊国神社に入って正面に見える立派な唐門は、西本願寺と大徳寺の門とともに国宝三唐門と言われています。

もとは秀吉が築いた伏見城の城門だったそうです。

伏見城が壊されると二条城に、そのあと南禅寺塔頭・金地院、そして明治になって豊国神社に移されたものです。

扉の両面や欄間には、左甚五郎の手による見事な彫り物があり、造営当初は門前大河黒漆、彫刻は極彩色、その上あちこちに金箔がほどこされていたという派手好きな秀吉好みになっていたそうです。

今でも十分壮麗な唐門ですので、ぜひじっくりと鑑賞していただきたいものです。

豊国神社 宝物館

本殿の南には、豊国神社宝物館があります。

白い壁に青銅色の屋根が、大正チックです。

館内には、豊臣秀吉にゆかりのある品々や、豊臣家に関わる品が展示されています。

秀吉が実際に使っていたというひょうたんの馬印や蒔絵の箱、秀頼が子供のころに書いた書など、戦国好き・歴史好きの人ならたまらない展示品もあります。

料金 大人300円 大学生・高校生200円 小中学生100円
拝観時間 9:00~17:00(受付終了は16:30)

 

五輪石塔

宝物館の奥にひっそりと建っている五輪塔は、江戸時代に神社が廃されていた時に、秀吉を偲ぶ人々が代わりに拝んでいたそうです。

でも塔に秀吉の名が刻まれていません。

代わりに元和元年八月十八日という祥月命日の日が刻まれています。

秀吉という名も出せなかった時代の様子ががうかがえます。

ひょうたん型絵馬

境内には、秀吉の馬印であった千成ひょうたんの形のものが目につきます。

特にひょうたん型の絵馬は可愛いです。

ほかにもあるんです、ひょうたん型のもの。

あなたが参拝したときに探してみてくださいね。

耳塚

豊国神社から正面通りを西へしばらく歩くと左の方に大きな塚があります。

秀吉の命による朝鮮出兵の際、戦功の証として、討ち取った朝鮮兵たちの鼻や耳を塩漬けにしたものを持って帰ってきたそうです。

それを葬ったのが、耳塚

今では耳塚の隣に児童公園があり、とても穏やかな空気が流れていますが、残酷な話ですね。

豊国神社の御朱印

豊国神社の御朱印には、

通常の御朱印
期間限定の御朱印
京都十六社の御朱印
京都刀剣ご朱印めぐりの御朱印

などがあります。

京都刀剣ご朱印めぐりの御朱印です

私が参拝したときは、コロナ禍を受けてアマビエ様バージョンがありました。

御朱印は、参道右側にある社務所でいただけます。

豊国神社 基本情報

境内自由
豊国神社 関係サイト

アクセス
京阪本線 「七条」駅下車 徒歩7分
市バス 「博物館三十三間堂前」下車 徒歩5分
バス・鉄道乗り換え案内


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小春

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