東寺の魅力は五重塔や金堂だけじゃない!見どころをたっぷり紹介!

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お寺と神社
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新幹線で京都へ来ると必ず目にするのが、東寺の五重塔です。

京都市民なら「ああ京都に帰ってきた」とほっとする、京都のランドマーク。

平安京が作られたときから、ずっと京を守ってきた東寺。

今回は、そんな東寺の深~い歴史と魅力を紹介します。

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東寺の見どころ

東寺と言えば、五重塔。

京都タワーができるまでは、京都第一のシンボル!多分。

まだ生まれていなかったのでわかりませんが…。

木造塔で国内最高の高さを誇る五重塔

東寺の五重塔は、現存する木造建築の塔で最も高く、高さは約55mです。

空海が建立したものはすでに焼失し、今の塔はそこから5代目、寛永21年(1644)に徳川家光によって再建されたものです。

塔内には、空海が唐から持ち帰ったとされる仏舎利が安置されているそうです。

塔の中心をとおっている心柱を大日如来とし、その周りを如来や菩薩が囲むようにお祀りされています。

初層は、密教の教えを表現した空間となっていて、今も華やかな色合いが残る荘厳な世界が広がっています。

四面の壁には弘法大師空海をはじめ真言八祖が、柱には八大龍王が描かれています。

そして上を見ると、三鈷を象った模様や迦陵頻伽(がりょうびんが)共命鳥(ぐみょうちょう)が描かれています。

迦陵頻伽は上半身が人間で下半身が鳥、共命鳥は頭が2つで体が1つの鳥という仏教における想像上の生き物。どちらも極楽浄土に住むと言われている

五重塔初層の屋根の四角をよ~く見ると、屋根に押しつぶされそうになりながら頑張っている鬼がいます!

これは邪鬼(じゃき)という鬼です。

邪鬼はとてもひねくれていて、なんにでも反発する性格。

そこで、重い建物の力に反発する=建物をしっかりと支えるようにとの願いが込められているそうです。

通常は非公開の五重塔ですが、春と秋には特別公開されています。

私は、2024年京の冬の旅特別公開期間中に拝観しましたが、写真で見るよりも鮮やかな色合いでおそらく当初はもっと美しい浄土空間になっていたのだろうと思いました。

密教の教えを立体的に表現した立体曼荼羅

五重塔の西側に南北に並んで建っているのは、金堂と講堂です。

講堂

北側に位置する講堂には、密教の教えを表した曼荼羅をより分かりやすく伝えるために、作り出された立体曼荼羅があります。

大日如来像を中心に、21体もの仏像が四方に配置された堂内にいると、圧倒的なパワーが迫ってくるような緊張感と荘厳さを感じます。

私のお気に入りは、東の入口から入ってすぐの場所にすっくとお立ちになっている持国天

筋肉隆々で鋭い目つき、少し前かがみになった臨戦態勢っぽい姿勢がとても格好良い!のです。

仏像は、仏の教えを具現化した像で、それぞれに表情も姿勢も持ち物も異なります。

一体一体じっくりみると、とてもおもしろいですよ。

金堂の薬師如来像

金堂

東寺の本堂にあたる金堂には、ご本尊である薬師如来像、その両側に日光・月光菩薩像が安置されています。

そして、薬師如来像の台座を守るように支えているのが十二神将です。

創建当時の像は、文明18年(1486)の山城国一揆の際に金堂と共に焼失しましたが、慶長8年(1603)に豊臣秀頼の寄進によって再建されました。

僧侶の修行場・食堂

講堂の北には、食堂(じきどう)があります。

食堂

@講堂・金堂・五重塔があるエリアは有料拝観区ですが、食堂は有料エリア外です@

食堂は、修行僧が食事をする場所であるとともに修行をする場所でもあったそうで、ご本尊として千手観音像がお祀りされていました。

しかし、昭和5年(1930)の火災で焼損したため、今は宝物殿に収蔵されています。

その代わりと言っては失礼ですが、現在は十一面観音像がお祀りされています。

食堂には、千手観音像と共に焼損した四天王が炭化した状態のままでお祀りされています。

焼けて真っ黒になっている四天王は、手がなくなっていたり、表情もほとんどわからなかったりと無残な姿になっていました。

ところが、私は見た途端なぜか鳥肌が立ちました。

なんだかわからないけど、すごいパワーを感じたのです。

美しい姿で残っている仏像よりもずっと強い波動のようなものが四天王から発せられているように感じました。

食堂で写経体験!

食堂では、四天王とご本尊のパワーを感じながら、写経体験ができます。

受付時間は9:00~15:00、納経料は1000円です。

由緒ある東寺で心静かに写経体験をしてみるのもおすすめ!

空海が住んでいた御影堂

食堂から西へ向かうと御影堂(みえどう)があります。

かつては空海が住んでいた場所で、大師堂とも呼ばれているお堂です。

パッと見た感じ、お寺のお堂というよりも貴族の住まいのような雰囲気もある落ち着いた建物です。

御影堂

御影堂

堂内には、国宝の弘法大師像がご本尊としてお祀りされていて、毎朝6時から始まる生身供(しょうじんく)では、弘法大師像にお膳をお供えします。

朝の5時50分と大変早い時間ですが、こちらの行事にはだれでも参加できますので、朝に強い方はぜひ一度参拝してみてください。

毘沙門堂と尊称陀羅尼の碑

御影堂のすぐ南にある毘沙門堂。

御本尊の兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)は、今は宝物館に収蔵されていますが、腰がきゅっと引き締まった美しい像です。

毘沙門堂の西をみると、大きな石(?)を背負った亀のような生き物の像があります。

この亀のような像、実は龍の子供で「贔屓(ひいき)」と言います。

贔屓の像をなでた手で、自分の身体の不調なところをなでると調子が良くなるそうで、東寺きってのパワースポットとなっています!

夜叉神堂

食堂のすぐ南にある夜叉神堂には、夜叉神像がお祀りされていました。(今は宝物館に収蔵されています)

この夜叉神像には、ちょっと怖い伝説があります。

もともと東寺の南大門にお祀りされていた夜叉神像は、門を礼拝せずにくぐった人には罰を当てていたため、大変恐れられていました。そのため参拝者とはあまり接触することのない現在地に移され、今に至っているということです。

今の夜叉神堂には、その夜叉神像はいません。

一体どこにいるかといえば、境内の北にある宝物館です。

宝物館は春と秋に限定公開されていますので、その際にはじっくりとご覧になってください。

観智院

東寺の北門を出て東に位置するのが東寺の塔頭である観智院です。

観智院は、延文4年(1359)ごろに杲宝(ごうほう)僧正によって創建されました。

東寺にとっての勧学院、今でいう大学の研究室のような存在でした。

お庭もきれいです。

建物と建物の間にある長方形の庭も趣があります。

「四方正面の庭」というだけあって、どちらから見ても素敵です。

四方正面の庭

ご本尊の五大虚空菩薩像は、知恵の仏様とされています。

ずらりと並んだ虚空蔵菩薩像はそれぞれが獅子・象・馬・孔雀・迦楼羅(かるら)という鳥獣に乗っておられます。

ほかの仏像とは異なり、鼻筋の通ったすらっとしたお顔が特徴的です。

本堂左には愛染明王像が安置されています。

観智院は、一乗寺で吉岡一門と決闘した後の宮本武蔵がしばらく住んだ場所でもあります。

決闘後に吉岡一門に狙われることを嫌い、観智院に隠れていたそうです。

その間に武蔵が描いた襖絵「鷲の図」と「竹林の図」が観智院に残っています。

長谷川等伯の教えを受けた武蔵、実は絵も得意だったのです!

そのほかの建物を一挙に紹介!

東寺に参拝したなら、見ておきたいその他の建物・見どころはこちらです。

八島社

空海が東寺を建立する際に、祈願したと伝わる神社です。

東寺南大門をくぐってすぐ右にありますが、実は東寺が建立されるよりも前からこの地にあったそうです。

鎮守八幡宮

南大門をくぐって左にあるのが鎮守八幡宮、そしてその手前には修行中の弘法大師空海像があります。

鎮守八幡宮は、王城鎮護を祈願して建てられた神社で、ご祭神の八幡神と二柱の女神は、空海が彫った日本最古の神像だと伝わっています。

小野道風ゆかりの柳

東寺の東入口である慶賀門から堀沿いに歩いてくると堀の向こうに宝蔵(ほうぞう)その手前に大きな柳が見えます。

この柳は、小野道風という平安時代の貴族ゆかりの柳です。

道風は、小野篁の孫で、能書家(字がすごく上手な人)でしたが、自分には書道の才能がないと落ち込んでいた時期もあったそうです。

そんな時、カエルが柳の葉につかまろうと何度もジャンプして、最後には飛びつけた姿を見て「あきらめずに頑張れば必ず道は開けるんだ」と、再び書道に励むことが出来たそうです。

堀をよく見るとこの逸話にちなんだカエルがいました!

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春と秋のライトアップ

東寺では、毎年春と秋に夜間ライトアップイベントが行われています。

春のライトアップ

春はちょうど桜が見事に咲きそろう頃です。

特に、有料エリアにある「不二桜」は見逃せません。

五重塔の前にある瓢箪池に移る「不二桜」は、得も言われぬ美しさ。

昼間の桜も素敵ですが、夜の東寺に浮かび上がる薄ピンクの桜と五重塔のコラボは、ぜひぜひご覧になってほしい景色です。

秋のライトアップ

秋は、境内全体が紅葉で染められて、春とはまた違った見事な景色を見せてくれます。

ライトアップの日程は、東寺の公式サイトなどでお知らせされますので、事前にご確認くださいね。

毎月21日に開催される弘法市

東寺と言えば、弘法市も忘れてはいけません。

弘法市は、弘法大師空海の命日である毎月21日に行われます。

特に1月の弘法市は初弘法、12月の弘法市を終い弘法と呼び、多くの方で賑わいます。

弘法市では、骨董や古着、小道具に食品・食材、お花など様々なお店が並んでいます。

弘法市限定で販売される笹屋伊織さんの「どら焼き」もお楽しみの1つです。

ただ見て回るだけでも楽しい弘法市、一度訪れてみては?

東寺の歴史をサクッと紹介

東寺について、今までの長い歴史を出来るだけ簡単に、わかりやすくお話しします。

歴史を知っておけば、東寺の魅力をもっと深くわかっていただけるはずです!

東寺の創建

東寺は、延暦13年(794)の平安京遷都に伴って、国家鎮護の寺院として建てられました。

西寺・東寺が創建されたのは、遷都から2年後のことです。

 

大内裏の朱雀門から南へ伸びた朱雀大通りは、羅城門まで続き、その手前の東西に立っていたのが、西寺と東寺でした。

真言密教の根本道場となる

弘仁14年(823)、桓武天皇の後に即位した嵯峨天皇が、弘法大師空海に東寺を下賜します。

唐で密教を学んできた空海は、のちに真言密教の祖となる人物です。

空海により、東寺は真言密教の総本山として隆盛しました。

講堂が建立され、立体曼荼羅も完成し、五重塔も完成。

現在見られる伽藍の基礎が築かれます。

しかし、平安時代末期に源平の争いが始まると、東寺・西寺とも衰退していきました。

東寺の復興

東寺が再び日の目を浴びるのは、鎌倉時代のこと。

仏師・運慶が東寺の諸仏修復に着手したことから始まります。

残念ながら西寺は復興されず、そのまま廃寺となってしまいます

御影堂で御影供の法要が始まったのが、延応2年(1240)のことで、これが今も続く弘法市の始まりだといわれています。

その後京を焼け野原にした応仁の乱では被害を逃れましたが、文明18年(1486)に起こった山城国一揆で金堂・講堂・南大門など多くの伽藍が焼失しました。

しかし、わずか5年後には講堂が、桃山から江戸時代にかけて金堂や南大門、五重塔が再建されました。

世界遺産に登録

皇族や武士だけでなく庶民からも広く信仰され、今も変わらず多くの参拝者が訪れる東寺は、平成3年(1994)に世界遺産に登録されました。

京都のシンボルであり、日本が誇る文化遺産でもある東寺は、京都観光には欠かせないスポットであるだけでなく、京都市民にとってはとても近しい親しみ深い場所でもあります。

東寺は、平安京が作られたその頃から唯一ずっと同じ場所で京を守ってきた貴重なお寺です。

ほかの観光地とは少し離れた位置にありますが、京都の歴史と文化を知るためにもぜひ一度お立ち寄りください。

東寺の基本情報

  • 住所 京都市南区九条1番地
  • 開門時間 5:00~17:00

拝観時間

  • 金堂・講堂 8:00~17:00(16:30受付終了)
  • 観智院 9:00~17:00(16:30受付終了)
  • 宝物館(会期中のみ)9:00~17:00(16:30受付終了)

拝観料

  • 金堂・講堂エリア 通常大人500円/高校生400円/小学生300円
  • 特別公開時には拝観料が変わりますので、公式サイトなどでご確認ください


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