「粟田神社」祇園祭の原型から刀剣乱舞の聖地まで盛りだくさん!

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京の東の玄関口粟田口に位置し、旅立ち安全祈願や厄除けなどのご利益が知られている粟田(あわた)神社には、数年前から「刀剣乱舞」の聖地巡礼の地として訪れる女性が増えています。

境内にある鍛治神社がそのお目当てだとか。

私はあまり詳しくなかったのですが、調べてみると結構面白い!

そこで今回は、粟田神社の由緒や見どころ、「刀剣乱舞」との関係などを紹介します。

ちょっと趣の変わった寺社巡りをしてみたいあなた、必見ですよ!

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粟田神社の御祭神と由緒

粟田神社は、876年(貞観18年)に清和天皇の勅旨により出羽守藤原興世(ふじわらおきよ)が八坂神社を粟田口に勧請したのが始まりと言われています。

そのため粟田神社の主祭神は、八坂神社と同じです。

御祭神(主祭神)

  • 建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと):天照大神の弟神であらぶる神・武神。ヤマタノオロチ退治でも知られる、牛頭天王(ごずてんのう)とも称する
  • 大己貴命(おおなむちのみこと):国造り・縁結びの神。大国主命(おおくにぬしのいみこと)とも呼ばれる

由緒

粟田神社が創建されたのは貞観18年(876)のことです。

朝廷の祭祀などを司る役職である神祇官と陰陽寮より「今年は地方でいさかいがあり、秋には疫病がはやる」と天皇に奏上されました。

そこで直ちに全国の神々にお供えをして国家と民の安全を祈願するように勅が発せられます。

その際、藤原興世が勅使として感神院(かんじんいん)祇園社(現在の八坂神社)で七日七晩の祈願を行うと満願の夜、1人の翁が興世の枕元に立ち「我を祀れば必ず国家と民は守る、今すぐに天皇に伝えよ」と告げたのです。

この翁は姿を変えた大己貴命で、更に続けて「祇園の東北にある牛頭天皇に縁のある清き地に祀れ」と告げました。

そこで直ちにその地に社を立て御神霊をお祀りしたのが、粟田神社の始まりとされています。

一説には、第5代天皇出会った考昭天皇の分かれである粟田氏が納めていた地に氏神として社を創建したのが始まりだともいわれています。

御祭神が当時感神院祇園社と同じだったことから、粟田神社は「感神院新宮(かんじんいんしんぐう)」「粟田天王宮(あわたてんのうぐう)」と称されていましたが、明治時代になって粟田神社と改称されました。

粟田神社の御神徳

粟田神社がある粟田口は、京の七口(出入口)の一つということもあり、京都を行き来する人々が参拝し、旅の安全を祈願してきました。

そしていつしか、旅の安全を守護する神様として崇敬されるようになりました。

都から東や北へ旅する人は、粟田神社で道中の安全を祈願するのが習慣となり、古くは源義経が奥州へ下るとき、時代が下り幕末には皇女和宮が徳川へ嫁ぐために東下されるときも立ち寄られたと伝わっています。

粟田神社は厄除け・病気平癒などの御神徳もあるとされていますので、旅行に行く行かないに関わらず、参拝されている方も多いです。

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境内の見どころ

粟田神社の一の鳥居は三条通りに面して立っています。

一の鳥居をくぐり、両側に民家やマンションが建ち並ぶ参道を進むと見えてくるのが二の鳥居。

二の鳥居の扁額には、昔の名称である「感神院新宮」とあります。

色鮮やかできれいな扁額。

鳥居をくぐってすぐ左にはあるのは「鍛冶神社」です。

刀剣乱舞の聖地「鍛冶神社」

鍛冶神社には、粟田口に住んでいた名刀工の三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)粟田口藤四郎吉光(あわたぐちとうしろうよしみつ)、それに鍛冶・製鉄の神である天目一箇神(あめのまひとつのかみ)がお祀りされています。

粟田口周辺は、平安時代から室町時代にかけて刀鍛冶が多く住み、三条派や粟田口派と呼ばれ、多くの刀工を輩出した土地です。

中でも三条小鍛冶宗近は「一期一振(いちごひとふり)」を、粟田口藤四郎吉光は「三日月宗近」という名刀を残した刀工でした。

「一期一振」「三日月宗近」はともに「刀剣乱舞」出てくる刀で、そのゆかりの鍛治神社が聖地として人気があるというわけなんですね。

お社の横には、刀剣をデザインした絵馬がたくさん奉納されていました。

刀剣乱舞とは名だたる名刀を擬人化したゲームで、このゲームをきっかけに刀剣にはまる方も多いとか。

鍛冶神社の美しい刀剣御朱印をいただくのがが参拝者の大きなお目当てなのです。

私はとうらぶファンではありませんが、美しい御朱印がいただけるのはありがたいのでしっかりと便乗させていただいています!

参道を進むと立派な神馬が見えてきます。

前足を上げて今にも走り出しそうなさっそうとした姿。

神馬を右手に見ながら参道を上ると社殿が並ぶ境内に到達。

ここまで緩やかな上り坂が続いていたので、少し息を整えてからお参りです。

美しく風情のある本殿と拝殿

境内中央にあるのが檜皮葺の屋根が美しい拝殿、その奥に本殿があります。

唐破風屋根の本殿は元禄16年(1703)に建てられたもので、拝殿と共に京都市指定有形文化財に登録されています。

長い歴史を感じる堂々とした姿です

粟田神社の摂社・末社

粟田神社の境内には以下の摂社と末社があります。

ちなみに摂社とは本社の御祭神とゆかりのある神様を祀っている社のことで、末社とは、また別の神様を祀っている社のことを言います。

北向稲荷神社(摂社)

北向稲荷神社の御祭神は雪丸稲荷他三柱です。


雪丸稲荷は、三条小鍛冶宗近が一条天皇の命により刀を打ったときの相槌を務めたとされています。

その時に作られた刀は「小狐丸」と名付けられました。

出世恵比寿神社(摂社)

元は三条蹴上の夷谷(えびすだに)という地に鎮座していましたが、500年以上前の山崩れで土砂とともに流され、明治になって粟田神社の摂社となりました。


牛若丸(源義経の幼名)が奥州へ下る際に源家再興を祈願した恵比寿神がお祀りされていることから「出世恵比寿」と呼ばれているそうです。

聖天社(摂社)

粟田神社初代の別当であった湛海律師(たんかいりっし)が刻んだ聖天像(現在は本殿内に安置)が残っています。

湛海律師は粟田神社の別当を辞した後は生駒へ移り、宝山寺の中興開山となりました。

宝山寺は「生駒の聖天さん」と呼ばれ、広く信仰されているそうです。

大神宮(末社)

大神宮はもともとは青蓮院(しょうれんいん)坊官(ぼうかん:寺の事務などを担う僧)鳥居小路家の鎮守社でしたが、明治に入って粟田神社に遷されました。

その他の末社

多賀社 縁結び・長寿の神様

朝日天満宮 菅原道真をお祀りする学問の神様

吉兵衛神社 土地の守り神

太郎兵衛神社 土地の守り神

初めに紹介した鍛冶神社も粟田神社の末社です。

境内からの眺めも最高!

高台に位置する粟田神社境内からは、京都市街が一望できます。

特に存在感が大きいのが、平安神宮の大鳥居!

美しい朱色の鳥居がとてもきれいで、普段は見上げるしかないあの大きな鳥居の上の方がバッチリ見えるのです。

鳥居の大きさを改めて感じるとともに、高い建物が少ない京都の景色が愛おしくなりました。

とにかく可愛い手水鉢

インスタグラムやXでも話題になっているので、ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、粟田神社の手水鉢が可愛いのです。

カラフルなアヒルがいっぱい!

癒されること、間違いなしです!

心が疲れたときは、ぜひアヒルさんに癒されに来てくださいね。

追記
令和7年に参拝したときには手水鉢のアヒルさんはいなくなっていました。
もうもどってこないのかなぁ…

 

粟田神社の御朱印

粟田神社の御朱印は、通常いただけるものが5種類、それ以外に「京都刀剣御朱印巡り」の御朱印があります。

「京粟田口」の御朱印

まずは粟田神社本社の御朱印を紹介します。

中央に「京粟田口」の墨書きがあり、上から「感神院新宮」「粟田天王社」「粟田神社」の朱印が押されています。

墨書きがとても美しくて素敵な御朱印です。

鍛冶神社の御朱印

鍛冶神社の御朱印は、御祭神である三条小鍛冶宗近が打った「三日月宗近」と粟田口藤四郎吉光が作った「一期一振」がデザインされたものです。

左に「一期一振」の墨書きと「一期一振 藤四郎」の朱印、左には「鍛冶神社」の墨書きに「鍛冶神社」の朱印が押されています。

参拝日はなく参拝年であった「辛丑(かのとうし)歳」の墨書きがあります。

そして中央には「一期一振」の刀身がデザインされ、全体がぐっと引き締まった印象に。

私がいただいたときの「一期一振」の御朱印は見開きサイズでしたが、現在はデザインが変更されています。

授与所横の御朱印見本を撮影させていただきました。

令和7年(2025)参拝時には「三日月」の美しい御朱印もいただきました。

紫のグラデーションを背景として三日月と雲、それに刀身がデザインされた御朱印紙に「三日月」と「三条小鍛冶宗近」の墨書き、鍛冶神社の朱印が押され、右上には鍛冶神社の御神紋の金押があります。

こちら2種類の御朱印は時々デザインが変更されているようですので、お参りの際は粟田神社公式snsをチェックしてみてください。

鍛冶神社の御朱印には「鍛冶神社」の朱印と御祭神名と刀身の朱印が押されたシンプルなものもあります。

鍛治神社のご利益は、刀工をお祀りしているだけに、悪縁を切り良縁を結ぶというものです。
最近どうもツキのない人も、悪運との縁を断ち切るためにお参りしてはどうでしょう。

京都刀剣巡り御朱印

粟田神社には、不定期授与ですが「京都刀剣御朱印巡り」の御朱印もいただくことができます。

「京都刀剣御朱印巡り」とは、名刀にゆかりの4社(粟田神社・豊国神社・建勲神社・藤森神社)をめぐって刀剣御朱印をいただく不定期開催のイベントです。

御朱印のデザインは毎回変わるので、そのたびに授与していただく方もいらっしゃるほどの人気。

令和3年(2021)にいただいたときは見開きサイズの御朱印でした。

四隅に稲穂と狐のしっぽがデザインされた「小狐丸」の御朱印は、朱印も稲穂風。

小狐丸とは、粟田神社からほど近いところにある「合槌(あいづち)稲荷神社」ゆかりの名刀です。

一条天皇から、鎮護の名刀を打つように命じられた三條宗近は、稲荷明神に成功祈願した。
すると、満願(刀を仕上げる)の夜に童子が現れ、宗近に協力(合槌)し、見事な名刀を仕上げた宗近は、刀の表に”小鍛冶宗近”と裏に”小狐”と銘を打ち、「小狐丸」と名付けた。
ここで気づかれた方もいらっしゃると思います。
粟田神社の摂社・北向稲荷神社の雪丸稲荷「小狐丸」に関する同じような伝説がありました。
どちらが本当なのかはわかりません、というか伝説なのでどちらも良しということだと思います。

ちなみに「小狐丸」と呼ばれた刀は複数あったそうです
そして相槌を務めた稲荷明神の伝説は山科の花山稲荷や伏見稲荷大社境内にある御劔社(御剣社)などにも残っています

イベント開催10周年の令和7年には「一期一振」「三日月」もモチーフとなった素適な御朱印に!

ここにもイチゴ!

右上には粟田神社の御神紋、その下には「京都刀剣御朱印巡り十周年」の銀押が輝いています。

今回は4社すべてをめぐると特製の扇子もいただけるといううれしい特典つきです。

興味のある方はぜひぜひご参加ください!

合槌稲荷神社の御朱印

合槌稲荷神社は、粟田神社の末社でも摂社でもありません。

粟田神社からは三条通りを挟んだ斜め向かいにある小さなお社で、民家の軒先をお借りするような形で鎮座しています。

ですが、こちらは先ほど紹介しました「小狐丸」を打つ際に相槌を務めた稲荷明神がお祀りされた神社なのです。

そのため、せっかくお参りされた方に御朱印を拝受したいとの思いを持っておられましたが、何しろ小さなお社なのでそれも叶わず、粟田神社さんがその思いを受け取って御朱印を預かっておられるそうです。

御朱印には小狐と「小狐丸」がデザインされ、中甥には稲穂がモチーフとなった相槌の朱印が押されています。

令和7年にお参りしたときは、小狐と刀を打つ宗近のデザインに変更されていたので改めていただきました。

刀身が中央にデザインされてよりクールな御朱印になっていました!

おすすめの行事・祭事

粟田神社で一番大きなお祭りは、10月に行われる粟田祭です。

粟田祭の概要

粟田祭(粟田神社大祭)は、

  • 体育の日前々日 出御祭(おいでまつり)
  • 体育の日前日 夜渡り神事
  • 体育の日の神幸祭(しんこうさい)・還幸祭(かんこうさい)
  • 15日 例大祭

までの神事を総称したものです。

このお祭は1000年もの歴史があり、室町時代などに祇園祭ができなかった時には、粟田祭をその代わりの御霊会としたといわれています。

粟田祭りの中で、私のおすすめは夜渡り神事神幸祭です。

迫力ある燈呂は必見!夜渡り神事

体育の日前日の夜に行われる夜渡り神事では、知恩院の黒門前にある「瓜生石(うりゅうせき」の周りを巡拝する「れいけん」という神事が執り行われます。

瓜生石…今から約400年前、旧暦の9月14日のことです。大きな石の上に瓜が覆って光り輝いている金のお札(御金札)がありました。そこには「感神院新宮(粟田神社の旧社名)」と書かれていたために、金の札は粟田神社に納められ、大きな石は「瓜生石」と呼ばれるようになりました。

この由来から、「れいけん」は粟田神社の神様が降臨した「瓜生石」を敬い、感謝する神事だと考えられます。

粟田神社を出発した行列は、知恩院の黒門前の「瓜生石」まで行くと、「れいけん」の神事を行い、その後、黒門が開かれると知恩院の僧侶と粟田神社の神官がともに儀式を執り行います。

神仏習合の行事が厳かに進んだ後、行列は町内を練り歩いて粟田神社へ帰ります。

夜渡り神事に従う行列は、松明を先頭に剣鉾・大燈呂と続きます

大燈呂(おおとうろ)とは、今から450年以上前の記録にも載っているほど歴史が古く東北地方のねぶた(ねぷた)の原型ともいわれていました

長らく作られていなかったのですが、平成20年に資料に基づいて復興しました。

「粟田大燈呂」と呼ばれるこの風流燈呂は、恵比寿さまやヤマタノオロチ、牛頭天王など様々な形をしていて、とても楽しく見られます。

祇園祭山鉾の原型! 神幸祭

神幸祭は、ご神体が遷(うつ)されたお神輿が氏子町内を渡御する神事です。

先頭は剣鉾、祇園祭の鉾の原型ともいわれ、長さ6~7mの竿に剣と鈴が取り付けられています。

剣鉾を持って歩く「剣差し」という役の男性は、重さ約30キロの剣鉾を腰に付けた差し袋で支え、バランスを取りながら独特の歩行法で剣先をしならせ、鈴を鳴らしながら練り歩きます。

「すごい!」

見ているこちらがハラハラするような、なんとも勇ましいでも優雅に見える行列です。

剣鉾は、町内に18基ほどあり、いずれも精巧な細工が施されています

夜渡り神事の時に飾られますので、興味のある方はご覧になってくださいね

夜渡り神事にお目見えしていた大燈呂も行列に参加、昼間に見る大燈呂は夜とは違って鮮やかな色合いが美しいですよ。

無料の宝物館に展示されていた粟田祭の矛など

終わりに

粟田神社の北には青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)、そして知恩院に円山公園、八坂神社と人気の観光スポットが並んでいます。

ですが、粟田神社へ参拝される方はあまり多くありません。

いつ訪れても静かでお参りされている方も数人程度。

新緑の時期は木漏れ日がキラキラと差し込んでくる参道がとても美しく、思わず深呼吸したくなるくらい。

私はまだ見ていませんが、秋の紅葉もきっときれいなはずです。

東へ少し足を延ばせば南禅寺や永観堂禅林寺にもお参りができます。

年々混雑がひどくなる京都の中にも案外今も京都らしい素適な場所があるのです。

その1つでもある粟田神社。

あなたも是非ゆっくりとお参りしてみてください。

粟田神社 基本情報

境内自由 拝観料無料

社務所受付 9:00~17:00

アクセス

地下鉄東西線 蹴上駅下車 徒歩7分

市バス 5・46系統 神宮道下車 徒歩5分

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