天龍寺や苔寺を作った夢窓礎石ってどんな人物?京のちなみを紹介!

天龍寺歴史人物

鎌倉時代から室町時代にかけて活躍した夢窓礎石は、僧でありながら多くの庭園を作り、日本文化に大きな影響を与えた人です。

京都観光には欠かせない嵐山にある天龍寺庭園や一面の苔が癒しを与えてくれる苔寺(西芳寺)庭園も夢窓礎石が設計したのです。

今回は、そんな京都の美しい景色を作りだしてくれた夢窓礎石を紹介します。

 

夢窓礎石の生涯を分かりやすく紹介

夢窓礎石は、1275年伊勢の国で佐々木朝綱(ともつな)の子として生まれました。

9歳で出家し、1283年には甲斐の国(山梨県)天台宗寺院平塩寺の空阿の弟子になります。

そこで礎石は、天台宗や真言宗について学んでいます。

礎石、仏の弟子となる

1292年、18歳になった礎石は、奈良の東大寺で受戒(正式に仏門に入る儀式を受けること)します。

そののち京都の建仁寺で禅宗についても学んでいます。

その後、中国出身の一山一寧や鎌倉の高峰顕日などに学んだり、各地で修行をしていた礎石は、1325年に後醍醐天皇に要望され上洛し、南禅寺の住職になりました。

しかし翌年には辞職、全国を回り修行を続けました。

鎌倉幕府が滅亡し、建武の新政を始めた後醍醐天皇は、礎石を再び南禅寺の住職として迎えます。

そして、後醍醐天皇は、一番位の高い僧にしか与えない「国師」という称号を、礎石に与えました。

礎石は、生前と死後を通し7人の天皇から「国師」の称号を賜ったことから

「七朝帝師(国師)」と呼ばれています。

天龍寺の建立に一肌脱いだ礎石

後醍醐天皇の建武の新政に対抗して、足利尊氏は京都の室町に幕府を開いていました。(室町幕府)

実は、尊氏も礎石とは面識があり、礎石を師と仰いでいました。

後醍醐天皇の死後、実権を握った尊氏に対し礎石は、後醍醐天皇の冥福を祈るために全国に寺院を建立することを提案します。

そして天皇の菩提を弔う為に嵯峨野にも天龍寺を建立することになりました。

しかし、南北朝の争いが続いていたために、天龍寺を立てる資金があまりありませんでした。

そこで礎石は、しばらく途絶えていた中国の元との貿易の再会により、資金を集めることを提案します。

これが「天龍寺船」の始まりでした。

天龍寺は、この貿易による莫大な利益のお陰で無事に造営されました。

礎石は、僧としても政治の参謀としても大きな能力を発揮していました。

礎石はその後も多くの門弟を育て、美しい庭を設計し、1351年、76歳で死去しました。

夢窓礎石が作った庭園はこれ!

礎石の庭園は、自然の景観を生かしつつ、石組みなどで禅の教えを表していると言われています。

京都府京都市  天龍寺庭園 世界遺産

京都府京都市  西芳寺   世界遺産

京都府京都市  南禅院(南禅寺塔頭寺院)

岐阜県多治見市 永保寺庭園

神奈川県鎌倉市 瑞泉寺庭園

山梨県甲州市  恵林寺庭園

山梨県見延町  覚林坊

など数多くある礎石の庭園ですが、中でも、天龍寺と西芳寺は、ずば抜けて素晴らしい庭園といえるでしょう。

天龍寺の壮大な庭園は見る者を圧倒する

天龍寺の法堂と大方丈を抜けると、目の前に広がってくるのは、大きな池とその向こうに広がる石組みと緑の木々です。

この庭は、「曹源池庭園(そうげんちていえん)」と名付けられ、嵐山を借景にしたスケールの大きい庭園です。

池の奥には、鯉が滝を上って龍になるという中国の故事にちなんで、鯉に見立てた石があります。

鯉が滝を登れることはないのですが、ひたすら修行を繰り返すことが悟りへの道だという禅の教えを表わした「龍門瀑(りゅうもんばく)」と呼ばれる石組みになっています。

池の手前からでは少し遠くて見えにくいのですが、禅の教えを考えながら、じっくり鑑賞するのもいいのではないでしょうか。

開園時間 8:30~17:30(10月中旬から3月中旬は17時閉園)

庭園入園料 高校生以上:500円・小中学生:300円・未就学児:無料

西芳寺の苔は礎石にも予想できなかった!

西芳寺の庭は、上段と下段の二段構成になっています。

上段は枯山水、下段は池泉回遊式の庭園で、禅の理念を表した天龍寺に対し、西芳寺は仏教の理想世界「極楽浄土」を表しています。

枯山水の上段が地獄、美しい池を配した下段が極楽を表現していると言われています。

枯山水は、水の流れを石で表現する方法です。

天龍寺と同じく、滝を上る鯉が石で表わされているのですが、心静かに見ていると、滝の流れやその水音まで聞こえそうに思えるのが不思議ですね。

ただ、枯山水が地獄を表しているようにはとても思えない人も多いと思います。

苔の緑が美しく映え、心が穏やかになるようで、こちらも極楽のように思えます。

実は、礎石が作庭した時は白砂が敷かれていて、苔は全くなかったそうですよ。

応仁の乱の後荒廃した西芳寺は、長い間廃墟のようになっていました。

その間に自然と苔が育ち、現在のような美しい庭に変わったということです。

自然の力が地獄を極楽に変貌させたのです。

こればかりは、礎石にも想像がつかなかったことでしょう。

開園時間 (7月~9月)10時・(他の月)13時

入園料(参拝冥加料) 3000円以上

京都巡りは京のちなみで楽しみましょう

今回は、京都にちなんだ人物、夢窓礎石を紹介しました。

京都観光をする時に、お寺の歴史やゆかりの人物を知っているとまた違った視点から、鑑賞することができます。

歴史の長い京都ならではの楽しみ方を、あなたも体験してみてくださいね。

そのお手伝いができましたら、幸いです(^_-)-☆

今回紹介した天龍寺と西芳寺の庭園は、こちらの本でも堪能できますよ。

 


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