幕末悲運の皇女和宮の生涯とは? 夫家茂や篤姫との関係やゆかりの京都を紹介

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皇女和宮は、徳川幕府と朝廷との関係を強く結びつけるために14代将軍徳川家茂との政略結婚を強いられた女性です。

ドラマでは、堀北真希さんや安達祐実さんが演じていた和宮は、悲しげな表情が印象に残っています。

無理やり徳川家に降嫁(皇女が後続以外の男性に嫁ぐこと)させられた和宮ですが、夫の家茂とは仲が良かったと言われています。

和宮は本当に幸せだったのか、悲運だったのか、今日はそのあたりにも注目しながら、和宮の生涯を紹介します。

幕末に興味がある人もそうじゃない人にも、わかりやすく解説しますので、是非最後までお読みくださいね。

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和宮の生涯を時代背景と共に紹介

和宮の波乱の人生は、時代の荒波に翻弄されるものでした。

和宮誕生から降嫁へ

1846年5月10日、和宮は仁考天皇の第8皇女として生まれました。

父の仁考天皇は、和宮が生まれる前、1月に崩御していたため、和宮の異母兄の孝明天皇が”和宮”という名前を付けました。

そして生まれてわずか5年後には、有栖川宮熾仁(たるひと)親王との婚約が決まります。

この頃の日本は、ペリーの来航以来、アメリカに開港を迫られ、開国に対する拒絶反応と危機感を持つ人が多くいました。

幕府は、この危機に際し、朝廷の権威を使い、列強の圧力に対抗しようと考えます。

そこで生まれたのが「公武合体」という流れです。

公武合体とは、公(朝廷)と武(徳川幕府)が力を合わせて、今の体制を維持しようという考え方です

公武合体の一つの策として、浮かび上がったのが、将軍徳川家茂と和宮の結婚でした。

和宮は、有栖川宮との婚約が決まっていたことを理由に断りました

それ以外にも、ほとんど京の都それも御所周辺から出たことのない和宮にとって、見たこともない野蛮な土地へ行くことなど、考えられませんでした。

しかし幕府は、

  • 有栖川宮との婚約は内約なので、破棄しても問題はない
  • 朝廷の人間も和宮と共に江戸へ下ること
  • 警護は完璧に行う

と返答し結婚を迫ります。

気の進まない和宮でしたが、和宮が降嫁を拒絶するなら、まだ1歳の皇女寿万宮が代わりに降嫁すること、もし幕府が承知しなければ、兄の孝明天皇が譲位しなければならないと説得され、しぶしぶ承諾します。

ただ、

  • 大奥でも御所流を守る
  • 御所の女官をそばに置く
  • 急用の際は叔父である橋本実麗を下向させるか、上臈かお年寄りを上洛させること
  • 父の仁考天皇の17回忌の後に江戸へ下向し、その後も回忌ごとに上洛させること

などを条件としました。

皇女和宮と徳川将軍家茂の結婚

1862年2月11日、江戸城において和宮と家茂の婚礼の儀が行われました。

大奥に入った和宮にとって、武家風の慣習は慣れず、窮屈な毎日を過ごすことになります。

婚礼の条件であった御所風の暮らしや女官をそばに置くこともきちんと守られることがなかったようです。

また、武家出身の姑篤姫との折り合いも悪く、息の詰まるような生活を強いられるのでした

そんな中、夫家茂との仲はどうだったのでしょうか。

実は、和宮と家茂は政略結婚にもかかわらずとてもいい夫婦仲だったと言われています。

家茂は生涯側室をおかずに、和宮だけを伴侶としています

また、1863年に家茂が上洛する際に、海路での上洛と聞いた和宮は、心配して陸路への変更をお願いしています。

家茂の方も、京や大坂に滞在している間に和宮への文や贈り物を度々送っていたという事です。

優しい人柄の家茂に和宮も心を開き、若くして政治の騒乱に振り回された二人は、お互いを想い合っていたのです。

神経をすり減らすような大奥での暮らしの中で、和宮にとって家茂はやすらぎを感じるただ一人の存在だったのではないでしょうか。

 

 

家茂との別れ、そして徳川の滅亡

和宮が家茂とのほんのひと時の幸せを味わっている間に、幕府の勢いはどんどんと弱っていきます。

それに対し、長州や薩摩などの大名がどんどん力を強めていきます。

1865年5月16日、第2次長州征伐のために、家茂は再び大阪へ向かいます。

家茂に土産は何が良いかと尋ねられた和宮は、西陣織を所望したと言われています。

家茂は、和宮のために西陣織を買い求めていました。

しかしそれを和宮に手渡すことはできませんでした。

もともと体の弱かった家茂は、度重なる上洛と幕臣や大名たちとの政争に心身ともに疲れ果てます。

1866年7月22日。

14代将軍徳川家茂は、大阪城で亡くなりました

和宮と家茂の結婚生活は、わずか4年という短いものでした。

西陣織は、家茂の形見として和宮の元に届けられます。

和宮は、

「空蝉の唐織り衣なにかせん綾も錦も君ありてこそ」

(あなたが選んでくださった着物が届きました。でもどんな美しい着物もあなたがいなければ何の意味もありません)

という和歌を添えて、西陣織を増上寺に奉納しました。

そののち西陣織は、家茂の追善供養の際に袈裟として仕立てられています。

この袈裟は「空蝉の袈裟」として現在に残っています。

和宮は、家茂が亡くなった前年には生母を亡くし、さらに家茂が亡くなった年の12月には兄の孝明天皇が崩御しています。

ほんの1年ほどの間に、最愛の夫、母と兄までも亡くした和宮、心痛は察するに余りあります。

和宮は落飾し、静寛院宮と改めます。

翌1867年10月、大政奉還。

徳川幕府の終焉です

徳川家の存続を求める旧幕臣と徳川家を滅ぼしてしまおうとする薩長をはじめとする大名たち。

和宮は、折り合いの悪かった篤姫と協力して徳川家存続のために動きます。

江戸無血開城が無事に終わり、徳川家が守られることになるのを見届けると、和宮は7年ぶりに京へ戻ってきました

和宮は聖護院の屋敷に入り、念願だった父仁考天皇陵への参拝も果たすことができました。

和宮の早すぎる死と家茂への愛

和宮は、明治天皇の東京行幸に伴い、1874年(明治7年)東京に戻ります。

天璋院や徳川一門、皇族との交流を持ち、穏やかな日々を過ごしていたようです。

しかし、脚気を患い、療養のために箱根へ移ります。

(ちなみに夫家茂も脚気が持病でした)

1877年9月2日、和宮は療養先の箱根で亡くなりました。

享年32歳。

和宮の遺言によりは家茂と同じ増上寺に葬られました。

徳川家墓所であった増上寺は、1950年代に売却されたため、徳川家代々の墓所が発掘・改葬されました。

和宮の棺の副葬品に1枚の写真乾板が出てきています。

乾板には、家茂と思われる烏帽子に直垂姿の若い男性の姿が写っていました。

保存状態が悪く、翌日には写真が消えてただのガラス板になってしまいましたが、和宮の家茂への深い愛情を感じます。

 

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和宮は替え玉だった?!

和宮のお墓を発掘調査したときにわかったことは、写真だけではありませんでした。

遺体からの推定で、身長は143.4㎝、体重は34㎏。

血液型はA型かAB型。

そして、不思議なことに左手の手首から先の骨が、いくら探してもなかったのです。

和宮の銅像や肖像画にも左手が隠れているか描かれていないので、和宮は何らかの理由で、左手首から先を失っていたと考えられます。

ところが、明治時代に撮られた和宮の写真には、左手がしっかりと映っているのです。

このことから、家茂に嫁いだ和宮は、替え玉だったのではないかという噂がまことしやかにささやかれるようになりました。

京の都から出ることを恐れていた和宮のために、替え玉として別の女性を家茂の元に送ったという説もないとは言えませんね。

この和宮替え玉説を元にした小説は、いろいろありますが、私が一番印象に残っているのは大竹しのぶさんでドラマ化された「和宮様御留」です。

有吉佐和子氏の小説で、和宮に瓜二つだった身分の低い女中が替え玉として、江戸へ送られ、環境の激変に耐えられず精神に異常をきたしてしまい・・・という悲しい話です。

1981年に放映されたのですが、大竹しのぶさんをはじめ、森光子さんや中村珠緒さんらそうそうたる女優さんが登場する名作でした。

大竹さんの演技の凄まじさは未だに忘れられません。

もし機会があれば、一度ご覧になってください。

和宮ゆかりの宝鏡寺を紹介

京都市上京区にある宝鏡寺は、”人形寺”として人々に親しまれています。

和宮が幼少の頃、宝鏡寺の鶴亀の庭で遊んでいたと言われています。また、和宮の母方の祖父橋本実久が亡くなった時には、宝鏡寺に滞在し、お経を唱えてご供養していたという事です。
そのような縁もあり、宝鏡寺には絵巻物をはじめとした和宮の遺品が、御所より下賜されています。

宝鏡寺の一般公開は、毎年春と秋に行われています。

旧百々御所 宝鏡寺門跡

春の人形展:3月1日~4月3日

秋の人形展:11月1日~30日

拝観時間10:00~16:00(15:30受付終了)

拝観料:大人600円・小中学生300円

 

アクセス

京都駅より市バス9号系統「堀川寺ノ内」下車徒歩1分

三条京阪駅より市バス12号系統「堀川寺ノ内」

市営地下鉄「今出川駅」「鞍馬口駅」下車徒歩15分

和宮が登場する作品

今日は、皇女和宮の生涯を紹介しました。

最後に和宮が登場する作品の中で、私のおすすめを紹介します。

「和宮様御留」 有吉佐和子氏

「和宮:後世まで清き名を残したく候」 辻ミチ子氏

和宮の伝記として読みやすい作品です。ただ時代に流されただけではない芯の強い女性和宮が描かれています。

 

「大奥」2003年 フジテレビ

安達祐実さんの可憐な和宮が印象的

 

「篤姫」2008年 大河ドラマ

堀北真希さんが演じています。

 


歴史人物幕末~
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