小野篁(おののたかむら)は、平安初期に登場した超やり手の官僚で、詩歌に優れ、かつ不思議な逸話の多い人物です。
その活躍ぶりは、冥土の世界にも及んだといわれ、閻魔大王の側近として活躍していたというのです。
奇想天外な伝説を持つ小野篁とは、いったいどんな人だったのでしょう。
いつものように、その生涯とエピソードから探ってみましょう!
小野篁の生涯を見てみよう
小野篁の父は、参議(今なら閣僚ですね)小野岑守(みねもり)です。
のちに篁も参議になっています。
このころ篁は、弓馬に夢中で学問にはげむことがほとんどありませんでした。
やんちゃで元気な少年だったようですよ。
その後、都へ戻ってからも、学問をしなかったために嵯峨天皇に
「あの岑守の子なのに、なぜ弓馬に明け暮れているのだ」
と嘆かれてしまいます。
それを聞いた篁は、心機一転学問に励み始めました。
もともとが優秀な頭脳を持っていたようで、篁はどんどんと知識を吸収していきます。
なんだか難しい言葉が並んでいますが、要するにすご~く難しい大学の試験に合格して優秀な学生としていろいろ勉強、そして朝廷の中で少しずつ出世し、次の天皇の家庭教師にもなったということですね。
そして、多分これはみんなが歴史で習ったことがある言葉「遣唐使」になります。
聖徳太子が、当時の大国隋へ使節を送り、文化や技術を学ぼうとした時から200年余り。
篁が乗船しないまま、渡唐をしたこの時を最後に遣唐使は中止されました。
病に伏していた篁を心配した文徳天皇は、何度も使者を遣わし、治療の金銭的な援助もしていたそうです。
篁をとても頼りにしていたのでしょうね。
篁は、自分の死後は他人に知らせずに直ちに葬儀をするように家族に命じていたといわれています。
小野篁ってどんな人?逸話を見てみよう
小野篁は、とても頭がよくて、文才もある人物でした。
でも篁のあだ名は「野狂」
結構インパクトあるあだ名ですよね。
実は、篁の身長はなんと6尺2寸(約188cm)
今でも高身長のほうなのに、当時ならとんでもない大男です。
これが「野狂」命名の一つの理由だと思いますが、それだけではありません。
なぜこんなあだ名がついたのか、「野狂」篁の逸話を紹介しましょう。
遣唐使のトラブルから朝廷への批判を詠む
遣唐大使であった藤原常嗣が乗る予定の船が損傷します。
常嗣は、篁が遣唐副使として乗船する船と取り換えるように言います。
これに腹を立てた篁は、副使の役目を下り、帰ってしまいました。
道理としては、その腹立ちに納得いきますが、大事な役目を勝手に辞めるのはどうかとも思います。
そのうえ、遣唐使をいまだ続けている朝廷への批判を漢詩にするのです。
その漢詩には、とても許されないような言葉が使われていたため、篁を重用していた嵯峨上皇も激怒し、官位はく奪の上、隠岐の国へ流されてしまいました
いったいどんな漢詩を詠んだのかはわかりませんが、少年のころは武芸にも秀でた篁です。
さぞや血の気の多い、激しい言葉が並んでいたのでしょう。
流罪というのは、死刑の次に重い刑でしたが、篁は案外楽観していたようにも考えられます。
「わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと 人には告げよ 海人の釣舟」
私は多くの島々を目指して、海原をはるかに漕ぎ出していった。都にいる友人たちにそう告げておくれ、海人の釣舟よ
これは、篁が、隠岐に向かい船に乗る前に出雲の国で詠んだとも、難波の津(大坂)を旅立つときに詠んだ歌ともいわれています。
どちらにしても、この歌からは悲壮感が漂ってきません。
胸を張り、行ってやるぞという潔ささえ感じます。
たとえそれが空威張りだったとしても、反骨精神と「野狂」というあだ名にふさわしい気概を持った人だったのでしょう。
篁は、流罪からわずか2年後に赦免され、平安の都に復活します。
平安京の人々は、篁の帰京にとても驚き、「これは只者ではない」と恐れたといいます。
この復活劇により、篁の冥界伝説が生まれたようです。
篁の冥土通い伝説
篁は、お昼は朝廷で仕事をして、夜は冥府で閻魔大王の補佐をしていたという伝説が、多くの書籍に紹介されています。
例えば「今昔物語集」
右大臣藤原良相(ふじわらよしみ)は病死して、閻魔大王のもとへ。
閻魔大王の傍らには、小野篁がいます。
藤原良相は、篁の隠岐流刑の際、彼を擁護したことがありました。
篁はそれを恩に感じていたのか、閻魔大王にとりなし、良相は冥土からの生還を果たしました。
礼を言う良相に篁は、「このことは内密に(^_-)-☆」といったそうです。
ほかにも
・篁が閻魔大王に菩薩の心を解く人物を紹介した
・悪ふざけで藤原高藤を百鬼夜行と遭遇させた
・愛欲を描く物語(源氏物語)を書いたことで地獄行きになった紫式部を閻魔大王にとりなして地獄から解放した
などなどの伝説が伝わっています。
これをただの伝説と思うか、真実が隠れているかもと考えるかは、あなた次第です。
小野篁ゆかりの京都
小野篁と関係の深い京都のスポットを紹介しましょう。
六道珍皇寺
小野篁が冥府との往来に使ったといわれる井戸が、六道珍皇寺に残っています。
篁が毎夜冥府へ行っていた「冥土通いの井戸」
冥府からの出口「黄泉がえりの井戸」(六道珍皇寺の旧境内地から近年見つかった)
六道珍皇寺は、この世とあの世の境である六道の辻にあり、冥界への出入り口があると言われています。
これは、六道珍皇寺の周辺が平安京のころの葬送の地(鳥辺野)への道筋にあたっていたことに由来していると考えられます。
境内はそれほど広くありませんが、ここが冥界につながっているかもと思うとちょっと背筋が寒く感じてしまいます。
「冥土通いの井戸」は見ることができますが、近づくことはできません。
近づいたら何か起こるのでしょうか・・・・。
「黄泉がえりの井戸」は近くで見ることができます。
井戸をのぞき込んだらどうなるのでしょう・・・きゃ~。
境内の閻魔堂には、篁作と伝わる閻魔像と小野篁の像が安置されています。
六道珍皇寺から歩いて3分ほどのところには「みなとや幽霊子育飴本舗」があります。
篁との関係はありませんが、六道の辻へ行った記念に幽霊子育て飴はいかがですか。
千本ゑんま堂
千本ゑんま堂の周辺も平安時代の葬送地(蓮台野)に近く、篁自身が閻魔大王の姿を刻み建立した祠が開基となっています。
ご本尊はもちろん閻魔法王です。
結構恐ろしいお顔をされていますよ。
千本ゑんま堂にも小野篁の像がありますので、六道珍皇寺のものと比べてみるのも面白いです。
ちなみに、篁が地獄から救ったとされる紫式部の供養塔(高さ6m!)もありますよ。
小野篁が登場する作品
最後に小野篁が登場する作品をいくつか紹介しておきます。
小野篁のことをもっと知りたくなったら読んでみてくださいね。
小説 小野篁 川口涼
平安時代稀代の宰相、小野篁の波乱の生涯を魅力的に描いています。
詠み始めると一気に入り込むような世界観を楽しんでください。
からくさ図書館来客簿 ~冥官・小野篁と優しい道なしたち~ 仲町六絵
京都にあるアットホームな雰囲気の「からくさ図書館」
館長の小野篁は、道に迷った”道なし”を救う冥府の官吏です。
といってもおどろおどろしいお話ではなく、ふんわりした心温まるファンタジーです。
ライトノベルですが、小野篁の背景がしっかりとしていて芯の通った作品です。
鬼の橋 伊藤遊
第三回児童文学ファンタジー大賞受賞作品。
でも大人が読んでも十分楽しめます。
妹を亡くして落ち込んだ日々を送る少年篁は、ある日妹が落ちた井戸から冥界へ迷い込みます。
そこには死んだはずの坂上田村麻呂がいました。
死んでもなお都を鬼から守っている田村麻呂。
田村麻呂との交流の中で成長していく篁の少年時代を描いています。
読みやすくて面白く、時にほろっとさせてくれます。
忘れかけた大切なものを思い出せるような素敵な物語です。
六道の使者 閻魔王宮第三冥官・小野篁 鈴木麻純
現世では朝廷の官僚、冥界では閻魔大王に仕える小野篁。
閻魔大王から贈られた七星剣を手に、現世にさまようモノたちを冥界へ送る…。
好きな人は絶対好きな平安ミステリーです。
実は、私も好きです!
地獄の沙汰も彼次第 秋里和国
主人公は女性カメラマン野々瀬ののか。
ののかが六道珍皇寺へ深刻な悩みを持ちつつ訪れると、小野篁が現れる!
小野篁の子孫だったののかは、おひげのイケメン篁にこき使われて…。
ラブコメタッチのコミックですが、京都が舞台で結構面白いです。
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