戦国一の美女を言われた細川ガラシャの生涯とは?逸話から見るガラシャとは?

細川忠興とガラシャ歴史人物

戦国の世に翻弄された細川ガラシャ。

その美貌と壮絶な最期に悲劇の女性と言われることが多いですが、実際はどうなのでしょうか?

今日は、細川ガラシャの生涯をわかりやすく解説いたします

ガラシャが登場する作品などについても紹介します。

2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」にも登場するであろう細川ガラシャをもっと知ってくださいね。

 

細川ガラシャ、明智家に生まれる

1563年

ガラシャは明智光秀と正室煕子の間の3女として生まれました。(次女という説もあります)

名は、玉(珠)または玉子(珠子)と言います。

幼い頃から、その美貌は輝くように美しかったという事です。

1578年

父の主君であった織田信長の発案により、玉は15歳で細川藤孝の嫡男細川忠興の元に嫁ぎます。

美男美女で似合いのカップルだった二人は、夫婦仲も良く、輿入れの翌年には長女(ちょう)が、その翌年には長男(忠隆)が生まれています。

玉の運命が翻弄される

1582年:本能寺の変

父明智光秀が織田信長を討ちます。

これにより、玉は「謀反人の娘」となってしまいます。

本来なら、細川家より離縁されるはずでしたが、忠興の玉への愛情がよほど深かったのか、離縁はされませんでした。

しかし、謀反人の娘におとがめなしという事はできませんでした。

そこで忠興は、玉を丹後の国の味土野(みどの:今の京都府京丹後市弥栄町)に幽閉しました。

玉が幽閉されている間も、2人の子をもうけていますので、忠興は時折たまに会いに来ていたようですが、今までとは全く違う環境の中です。

突然何のゆかりもない土地へ閉じ込められた玉、傷心の玉を支えたのは、輿入れの時から従っていた侍女たちでした。

その中には、この先玉の人生に大きくかかわってくる清原マリア(細川家の親戚筋にあたる)もいました。

玉、キリスト教に出会う

1584年

信長の死後、実権を握った豊臣秀吉のとりなしで、玉の幽閉は解かれ、大阪の屋敷に戻されました。

しかし、大阪に戻っても監視の目が厳しく、玉の心は癒されません。

そして次第に忠興への愛情が冷めていきました。

2年もの長い幽閉生活を強いられたことと、異常なほどの愛情と束縛が原因だったと思われます。

この頃に玉は忠興からキリシタン大名高山右近の話を聞きます

幽閉時代に心の支えだった清原マリアらとの触れ合いの中、キリスト教の教えに魅かれていた玉は、一層キリスト教に興味を抱くようになります。

1586年

忠興が九州征伐へ行っている間に、初めて教会を訪れます。

この日教会では、復活祭の説教を行っていました。

玉は、日本人修道士に様々な質問をしています。

修道士は後に

「これほど明晰かつ果敢な判断ができる日本の女性と話したことはなかった」

と言っています。

玉は、その場で洗礼を望みましたが、教会側は、玉が高い身分の女性であると思われたために、洗礼は見合されました。

この頃に豊臣秀吉がキリスト教弾圧を始めていたためでした。

九州から帰ってきた忠興は、玉の行動に激怒し、キリスト教を辞めるように命じましたが、玉は頑として聞き入れませんでした。

玉の頑なな態度に、忠興の態度は冷たくなっていきます。

その反面、玉に対して「五人の側室を持つ」と言い出したり、監視の目を強めたり、異常な束縛は続きます。

玉は、離婚を考えますが、キリスト教では離婚が認められていないこともあり、宣教師に説得されて諦めています。

外出がままならない玉は、清原マリアたちを密かに教会に通わせ、洗礼を受けさせます。

1587年

秀吉が「バテレン追放令」を出すと、大阪にいた宣教師は九州へ逃れることになりました。

宣教師たちが大阪にいる間に、清原マリアを通じて洗礼を受けました。

洗礼名ガラシャは、ラテン語で神の恵みという意味です。

ガラシャ、壮絶な最期を遂げる

1600年:関ヶ原の戦い

豊臣秀吉亡き後、徳川家康と石田三成の覇権争いが激しくなってきます。

そして、世にいう関ヶ原の合戦!

西軍の石田三成は、大阪にいる徳川方の大名の妻たちを人質に取ろうとします。

徳川の東軍についた細川家もそのターゲットになりました。

三成は、ガラシャにも人質になるように要求しますが、ガラシャはそれを拒否します。

そのため、三成は実力行使に出ます。

光成方の軍勢に屋敷を囲まれたことを知ると、ガラシャは、夫が常々家臣に言っていた

「妻の名誉に危険が生じたならば、妻を殺し、全員切腹するように」

という言葉に従います。

自殺が禁じられているキリシタンであるガラシャは、侍女や他の女たちを逃がした後、家臣小笠原秀清に介錯を頼み、壮絶な最期を遂げました。

ガラシャの死後、小笠原秀清も屋敷に爆薬を仕掛け、ガラシャの遺体を残さないようにして自刃しました。

ガラシャの壮絶な最期に石田方は驚いて、その後人質を取るのを諦めました。

ガラシャの辞世の句

「散りぬべく 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

(花も人も散るときを心得ているからこそ 美しいのです)

覚悟の死、とでもいうのでしょうか。

運命に翻弄されたか弱き女性という姿はみじんも見えません。

ガラシャの意思の強さ、芯の強さが感じられる句です。

忠興は、ガラシャが亡くなった後、嫡男の妻は逃げて生き残ったことに腹を立て、嫡男忠隆と離縁するようにに迫っています。

ガラシャが死んでもなお、過剰な愛を貫いた忠興は、最後まで拒んでいたキリシタンガラシャをも受け入れました。

1601年、ガラシャの教会葬を依頼し、参列までしていました

ガラシャのお墓はどこに?

ガラシャのお墓は、以下の3か所にあります。

大徳寺高桐院(京都市北区):細川忠興が開いた寺院

 

崇禅寺(大阪市東淀川区):細川家の菩提寺

 

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#大阪カテドラル聖マリア大聖堂 #玉造 10連休最終日、来年の大河ドラマに備え、細川ガラシャに会いに行って来ました。 信者では無いので、教会に来る事も無いのですが、信者で無くても見学可、との事でしたので、堂内を見学させて頂きました。 すぐ近くには、越中井戸があります。細川忠興の屋敷の台所があった場所で、細川ガラシャの最期の地、と言われています。石碑の表題は、徳富蘇峰の筆だそうです。 歴史を感じる場所でした。 #玉造教会 #細川ガラシャ #高山右近 #カトリック教会 #ステンドグラス #越中井 #徳富蘇峰 #麒麟がくる #大阪 #森ノ宮

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秦勝寺(熊本市):熊本城主になったガラシャの息子忠利により建てられた寺院

逸話から見るガラシャの人となり

最期の悲惨さから、悲劇の女性と言われることの多いガラシャですが、本当の姿はどんな人だったのでしょうか。

逸話やエピソードから人物像を探ってみましょう。

男顔負けの強さと根性⁉

ある日、ガラシャに声をかけた庭師に嫉妬した夫の忠興が、その庭師を手打ち(斬殺)にするという事件が起こりました。

忠興は、庭師を斬った刀の血を、ガラシャが来ていた小袖でふき取りました。

ガラシャは、その血を見ても動じることがなく、着替えようともしませんでした。

そのまま数日間、ガラシャはその小袖を着たままです。

そのガラシャを見て忠興は

「そなたは蛇じゃ」

と言うと、ガラシャは

「鬼の女房には蛇がお似合いでしょう」

と返したという事です。

結局、忠興が詫びて着替えてもらったという話です。

短気な性格の忠興に対して、一歩も譲らない勝気で肝の据わったガラシャでした。

勝気な性格は、ガラシャのこんな言葉からもわかります。

「いったん事がある時は、甲冑をつけ馬に乗り敵に向かっても、私は男にさまで劣るまい」

その美貌からは想像もつかない男前のセリフですね。

キリシタンの宣教師が残した言葉からも、ガラシャの性格が見えます。

由緒ある明智家の娘として、育った玉は、気位が高く、激しい性格の持ち主だったらしいです。

ですが、キリストの教えを知ってからのガラシャは、謙虚で穏やかで忍耐強い性格になってきたと言われています。

心の寄る辺を見つけたことで、精神的な余裕のようなものができたのかもしれませんね。

 

細川ガラシャが登場する作品を紹介

現在でも戦国の美女の一人として人気のある細川ガラシャですので、多くの小説や映画、ドラマ、舞台で登場しています。

中でも私のおすすめの作品を紹介しますね。

細川ガラシャ夫人  三浦綾子

明智の娘として生まれ、何不自由なく育った玉が、信長の命令で細川忠興に嫁ぐことになります。政略結婚の道具にされた玉がそんな環境の中でも人間らしく生きようとする姿、。

逆臣の娘となった玉が、キリストの教えに出会い、命を懸けて信念を貫いた生涯を描いています。

明智光秀の心境や玉の苦悩、他の登場人物も生き生きと描かれて、歴史上の人物を身近に感じながら読み進めることができます。

朱なる十字架  永井路子

戦国時代の悲劇のヒロイン細川ガラシャの生涯が、比較的わかりやすく描かれています。

初めてガラシャ作品を読む人にはおすすめですが、玉がキリシタンになった後の展開がややあっさりしているので、若干頼りなく感じる人もいるかもしれません。

細川ガラシャが登場する作品はほかにも多くありますので気にある方はどうぞこちらで見てくださいね。

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2016年大河ドラマ 「真田丸」

まだ記憶に新しい橋本マナミさんが演じた細川ガラシャです。

美しくて良かったのですが、個人的には芯のある凛とした美しさが足りないように思いました。

1981年上映 「魔界転生」

山田風太郎氏原作の伝奇物語です。

キリシタン弾圧に端を発して悲惨な戦となった島原の乱。

その首領天草四郎(演じていたのは沢田研二さん)は惨殺されます。

しかし、悪魔の力によりよみがえった四郎は、無念の死を迎えようとする剣士たちを魔界衆として蘇らせ、徳川の世を壊そうとします。

迎え撃つのは、千葉真一さん演ずる柳生十兵衛。

伊賀の仲間を失いつつ、四郎と対決していく十兵衛。

今見ても、面白い映画です。

魔界衆の一人として細川ガラシャが登場します。

私が映像でしっかりと細川ガラシャを見たのは、この映画でした。

山田風太郎氏の原作には、細川ガラシャは出ていませんが、男性だけの魔界衆ではインパクトが弱いという事で、深作欣二監督がガラシャを加えたそうです。

演じたのは、佳那晃子さんです。

まだ学生だった私は、妖気漂う美しさにくぎ付けになりました。

魔界衆でありながらガラシャの哀しさや強さがとても印象に残りました。

他にも大河ドラマや戦国物のドラマ・小説にガラシャは登場しています。

色々な表現をされているガラシャを見比べるのも面白いですよ。

まとめ

今日は、細川ガラシャの生涯を紹介しました。

戦国の女性として、最期まで美しく気高く生きた細川ガラシャ。

ガラシャの生き方は、同時代の人々にも強い印象を与えたのではないでしょうか。

政略結婚などで、道具のように使われることの多かった戦国大名の娘たちは、その運命の中でも自分らしく生きるために懸命に戦っていたのだと思いました。

あなたは、ガラシャの生涯から何を感じましたか?

もし、ほんの少しでも何かを感じてくだされば、うれしいです。


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