御所の西、烏丸通に面した護王神社は、「いのしし神社」と呼ばれて京都市民に親しまれています。
今回は、春の兆しが見えて心が浮き立つような3月の休日に訪れた護王神社の様子と歴史を紹介します。
見どころいっぱいの護王神社をどうぞお楽しみ下さい。
護王神社の由緒
護王神社の創建年はわかっていませんが、もともとは洛西の高尾山神護寺の境内に祀られた和気清麻呂公の霊社で、「護法善神」と称していました。
江戸時代末期の嘉永4年(1851年)、清麻呂公の功績をたたえて、孝明天皇が「正一位護王大明神」という神階と神号をお授けになりました。
明治7年(1874年)には、別格官幣社に列せられ「護王神社」を正式名称とします。
明治19年(1886年)、明治天皇の勅命により現在地に社殿を建立し、神護寺境内からご遷座しました。
大正4年(1915年)に和気広虫姫を主祭神として合わせ祀りました。
護王大明神 和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)
子育て明神 和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)配祀
藤原百川公命(ふじわらももかわこうのみこと)
路豊永卿命(みちのとよながきょうのみこと)
ご利益
足腰の健康・怪我や病気の快復
厄除け・災難除け
子育て・子供の守護
和気広虫姫は、戦で親を亡くした多くの子供たちを引き取って育てました。その慈愛あふれる心が慕われ、子育て明神として信仰されています。
ぜんそく封じ
いのしし神社の由来
清麻呂公が弓削道鏡の怒りを買い、足の腱を斬られた上に大隅国(鹿児島)へ流罪される(宇佐八幡宮ご神託事件)途中、宇佐八幡宮へ寄りました。
道中には、道鏡が差し向けた刺客が潜んでいましたが、どこからともなく300頭ものいのししが現れ、清麻呂公の輿を囲んで護ってくれました。
そして無事に宇佐八幡宮での参拝を済ませると、いのししはどこかへ行ってしまい、気づくと清麻呂公の足はすっかり治り、歩けるようになっていました。
この故事にちなんで護王神社にいのしし像が建てられたのが明治23年(1890年)のことです。
以来、いのししは護王神社のシンボルとされ、足腰の神様として親しまれています。
宇佐八幡宮ご神託事件
称徳天皇の寵愛を受けていた弓削道鏡は、天皇の座を奪うために「道鏡を天皇にすれば、天下が平和に治まる」という宇佐八幡宮のご神託を受けたと天皇に言います。
天皇は、ご神託の真偽を確かめるため、和気広虫姫を宇佐八幡宮へ行くよう命じますが、この時期病に苦しんでいた広虫姫は代わりに弟の清麻呂公を宇佐へ向かわせました。
宇佐八幡宮の大神は、「天皇の後継者は皇族のものに、道鏡は追放せよ」というご神託を下されました。
清麻呂公から真のご神託を聞いた天皇は、道鏡を天皇にすることはありませんでした。
野望をくじかれた道鏡は、清麻呂公と広虫姫を流罪に処します。
しかし、道鏡はこののち失脚しました。
護王神社の見どころ
いのしし神社と呼ばれているだけに護王神社にはいのししがあちこちにいらっしゃいます。
境内をゆっくりと参拝しながら、いろんないのししを見つけてみてくださいね。
では、順に紹介していきましょう。
表門から拝殿
烏丸通から表門をくぐると右手に霊猪手水舎があります。
手水舎の猪の口から水が…。
本当は出ているのですが、コロナ禍の今は出ていません。
その代わり可愛い猪がいっぱいお出迎えしてくれていました。
烏丸通りからも見えていた大きな木は、ご神木のカリンの木です。
樹齢百年を超えるこの木は、「ぜんそく封じのご神木」とされていて、秋に実る黄色くて大きな実で作ったカリンのお神酒は、ぜんそくやのどの痛みに効くと言われているそうです。
拝殿の南側には、四神(青龍・白虎・朱雀・玄武)の額が、北側には軍艦「高尾」の額がかかっています。
都を守る四神はわかりますが、なぜ軍艦の額が?
実は、戦争へ赴く高尾の乗組員の願いで、護王神社の御分霊を「高尾」に祀ったそうです。
そのおかげなのか、「高尾」は任務を全うして無事に帰還しました。
その縁により、「高尾」の額がかけられたと言います。
始めに御分霊を願った乗組員は、京都の人だったのでしょうか?
願かけ猪と座立亥串
拝殿の奥には本殿中門、その奥に本殿があります。
中門の前には、見上げるような招魂樹(おがたまのき)が、その根元には願かけ猪が鎮座しています。
そしてその周りにある白い弊紙を串でさしたようなのは「座立亥串」(クラタテヰグシ)です。
願い事を書いた紙を亥串で挟み、願かけ猪の前に刺してお願いするのです。
護王神社独特の信仰で、ほかにはない珍しい願掛けですね。
願かけ猪の右側には、「足萎難儀回復の碑」があります。
碑をさすったり、足形に足をのせたりして、願かけをします。
「君が代」に出てくる「さざれ石」
中門から北へ歩くと、大きなでこぼこの石がお祀りされています。
これは、国家「君が代」の歌詞にある「さざれ石」なんです。
なんと幅3m、高さ2mもあります。でかい!
大きさの違ういろんな石が集まって強い巌になっている様子が、国民が心を一つに合わせて末永く栄えていく姿になぞらえているそうです。

知らなかった!
そのまま境内を一周してみます。
こんなところにも猪が!
再び表門に戻りそのまま南側に行くと参拝者休憩所と社務所があります。
御朱印をお願いしている間に、休憩所の中へ。
可愛い飾りに目を引かれます。
ここにも猪がいました。
社務所の横には、全国から奉納されたいのししグッズがいっぱいあります。
いのししコレクションとして展示してありますので、いろんないのししグッズをご覧になってくださいね。
再び本殿横へ。
そこには、とってもいかつい猪がいます。
祈願殿を建てる際、やむを得ず切った樹齢300年の桂の木、その根株に彫刻した神猪の親子です。
これ、チェーンソーで彫ったそうですよ。
またまたすごい!
護王神社の外壁
烏丸通に面した南の外壁には、護王神社が描かれた歴代のお札が並んでいます。
護王神社と和気清麻呂、いのししが描かれた大きなお札は、とても目を引きます。
ちなみに北の外壁には、護王神社の由緒が描かれた「護王神社絵巻」がかかっています。
護王神社の御朱印
護王神社の御朱印は、通常の御朱印と京洛八社集印めぐりの御朱印があります。
京洛八社集印めぐりはこちらの八社をめぐって、専用の色紙に御朱印を押していただくものです。
順番はありません。
白峰神宮
御霊神社
菅原院天満宮
護王神社
菅大臣天満宮
文子天満宮
下御霊神社
いずれも市内中心部で行きやすい場所ですので、興味のある方はチャレンジしてみてくださいね。
護王神社 主な祭事
護王神社で行われる祭事を主要な祭事を紹介します。
節分祭 2月節分の日
境内には、赤鬼や青鬼が現れ、拝殿では鬼矢来や四方奉射などの神事が行われます。
例年ですと、年男・年女による豆まきがあります。
有名人による豆まきもあるそうですよ。
例祭:護王大祭 4月4日
和気清麻呂公の御命日(旧暦2月21日)に行われる例祭です。
本殿前の祭典(本殿ノ儀)の後、京都御所へ行列で向かい、建礼門前で「宇佐神託奏上ノ儀」が行われます。
夏越の大祓(なごしのおおはらえ) 6月30日
心身の穢れや罪を祓い清めて、疫病・災厄から免れるように祈願する神事です。
神事の後、参列者は厄払いの茅の輪(ちのわ)くぐりをします。
ちなみに、茅の輪くぐりは京都のほかに神社でも行われることが多い神事ですよ。
上賀茂神社、車折神社、北野天満宮、城南宮、上御霊神社、下御霊神社、八坂神社などなど。
一年の半分を過ぎ、あとの半年の無事と前半年の穢れを払いに、茅の輪くぐりをしてみませんか?

2021年はコロナウイルス感染予防のため、中止される場合もありますので、あらかじめ確認してくださいね。
亥子祭(いのこさい) 11月1日
平安時代の宮中では、亥の月・亥の日・亥の刻に亥子餅をついて無病息災や子孫繁栄を祈っていたそうです。
それを再現したのが、亥子祭です。
「御玄猪(おげんちょ)」という王朝絵巻のような幽玄な儀式が行われ、その後亥子餅を京都御所へ献上する「禁裏御玄猪調貢ノ儀」が行われます。
平安時代の優雅な一場面を見るようで、とても貴重な体験ができます。
足腰祭 毎月21日
足腰の健康を祈願する祭事です。
参列者は、表門中央にある御千度車を回して足腰の健康を祈ります。
護王神社 基本情報
境内自由
参拝時間 6:00~21:00
御朱印受付時間 9:00~17:00
アクセス
最寄り駅 市営地下鉄烏丸線 「丸太町」駅
バス 市バス 「烏丸下長者町」
終わりに
今回は、足腰の神様・いのしし神社として知られている護王神社を紹介しました。
烏丸通に面していながら、境内に入ると静かでゆっくりと参拝できます。
お祭りの日以外なら、あまり混雑もしていませんので、京都御所や烏丸周辺へお越しの際などにもよってみてくださいね。
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