今回紹介するのは、天保の改革で暗躍した鳥居耀蔵(とりいようぞう)によって窮地に立たされたある人々の痛快復讐劇。
私の好きな作家さんの1人、五十嵐貴久が書かれた時代小説で、舞台は江戸後期の天保年間です。
天保の改革の名の下、厳しい取り締まりを指揮していた鳥居甲斐守耀蔵を、庶民は「妖怪」と呼んで恐れていました。
その妖怪に立ち向かい、胸のすくような復讐を果たした人たちのお話です。
とはいえ壮絶な斬り合いがあるわけでもなく、ましては主人公がさっそうと刀を振るうわけでもありません。
さてさて、いったいどのような形で復讐をするのでしょうか…。
『天保十四年のキャリーオーバー』簡単なあらすじ
南町奉行・鳥居耀蔵に江戸から追放された七代目・市川團十郎は、復讐のため鳥居に襲い掛かる寸前で、浪人・鶴松に気絶させられた。
目を覚ました團十郎は、鳥居に冤罪をかけられて父を失ったという鶴松とその仲間からある計画を聞く…。
裏表紙より
天保の改革による倹約令で風俗の取り締まりが進む中、歌舞伎や落語・寄席・読本(娯楽小説)への厳しい弾圧が行われていた江戸の町。
取り締まりの先頭に立っていたのが「妖怪」こと鳥居耀蔵でした。
弾圧に批判的な者や鳥居の邪魔になる人物は、次々と要職から外されていきます。
もちろん、厳しい取り締まりに息苦しさを感じている民衆も。
彼らの敵は「妖怪」!
鶴松の復讐計画とは、富くじ(今の宝くじのようなもの)を利用して百万両をため込んでいる鳥居から、その金をすべて盗もうというものでした。
どこか頼りない鶴松ですが、その童顔からは想像できないくらいの頭脳の持ち主…らしい。
團十郎は鶴松の仲間たちとともに、大芝居をうつことに。
悪だくみと金への執着に関しては右に出る者がいない鳥居を相手に、いったいどのような意趣返しをするのか。
読み始めるとその先が気になって、止まらない一気読み必至の作品でした。
主な登場人物
このお話に登場するのは次に様な面々です。
七代目・市川團十郎
まずは、鳥居により舞台から引きずり降ろされた市川團十郎。
江戸所払いとなった團十郎には、歌舞伎役者として舞台に立つ道が閉ざされたも同然でした。
京や大坂、地方の芝居小屋で舞台に立つが、やる気を失った團十郎の芸は荒れていきました。
自分を地獄に突き落とした鳥居への恨みは募るばかり。
團十郎は僧侶に化けて江戸に入り、鳥居を襲おうと待ち構えていましたが、そこで出会った、いや邪魔に入ったのが、鶴松です。
鶴松
鶴松の養父は、元南町奉行の矢部定謙(さだのり)です。
定謙は、「大塩平八郎の乱」に加担したという罪(冤罪)で職を解かれました。
伊勢桑名藩お預かりとなった定謙は、抗議の切腹。
矢部家は改易となり、残された養子の鶴松は浪人となりました。
そんな鶴松のもとに届けられたのが、定謙が命がけで残した鳥居の悪事に関する証拠。
鶴松はそれをもとに、地道な調べを進め、鳥居への復讐計画を立てていたのです。
鶴松を手伝っていたのは、ちょっと粋な姉さん・お葉と二代目・立川談志でした。
お葉
お葉は、『偽紫田舎源氏』の作者・柳亭種彦の娘です。
実は、『偽紫田舎源氏』を書いたのは娘のお葉。
柳亭種彦という名を娘に譲り楽隠居を気取っていた父親でしたが、取り締まりのせいでその名前を捨てる羽目になり、すっかり意気消沈したまま亡くなっていました。
お葉は、ろくな父親ではないと言いながらも、父の仇を討つために鶴松の計画に加わっていたのです。
二代目・立川談志
水野忠邦は風俗取り締まりの一環として江戸中の寄席をつぶし、鳥居は噺家を目の敵に。
そんな中で談志は自ら高座を降りていました。
とはいえ、噺家を辞めてしまえばすることがない。
少しずつ貯めていたお金で長屋を買い、そこに転がり込んできたのが鶴松でした。
こうして鶴松・お葉・談志が鳥居復讐計画の準備を始めていたところ、最後のピースとして現れたのが團十郎だったのです。
鳥居の悪事とは?そして鶴松の計画とは?
当時、富くじは決められた寺社内のみで販売されていたそうです。
ところがその寺社が近くになければ、富くじを買うことはできません。
そこに目をつけて行われたのが「陰富(かげとみ)」でした。
陰富の仕組みを簡単に説明するとこんな感じです。
陰富では富くじと同じ番号のくじを作り、購入者は富札の番号を指定して購入します。
そして実際の富くじで当選した番号と同じ札を持っていれば、陰富の胴元がお金を支払います。
わざわざ寺社に出向かなくても富くじができるうえに、正式な富くじよりも多額のお金が動いていたそうです。
鳥居は(史実の鳥居ではありませんよ)この陰富を利用して莫大な資金を作り、それにより異例の出世を遂げていました。
鳥居のお金に対する執着は異常とも思えるほどで、鶴松はそこに目をつけたのです。
彼からすべてのお金を奪うことで、命を取らずとも復讐が遂げられる…。
殺人という手段を用いることを良しとしなかった鶴松の潔さと格好良さが、この作品の爽快感につながっていると、私は思いました。
細工は流々仕上げを御覧じろ
天保14年年末。
これをもって終了すると決まった最後の富くじが近づいてきました。
團十郎の大芝居はうまくいくのか?
鶴松の計画は成功するのか?
ハラハラしながら読み進めていると、そこにも驚くような仕掛けが!
大団円では、登場人物のその後も描かれていて、ほっと安心。
史実の彼らはどのように生きたのかも気になって、読後にすぐに調べたくなる方もきっと多いはずです。
私の感想いろいろ
「いやしくも幕府は政治の中枢であり(中略)政に関わる身分である。そういう立場にある者が、己の利と得だけを考えているようでは、政体として長く続くはずもない」
これは團十郎がある宴に出席した後の言葉です。
今の政治にも十分通じる痛烈な批判に深くうなずきました。
あと、「キャリーオーバー」の意味は読めばわかります!
「武士だ役者だ、そんなことどうだっていいでしょう。知り合ったのが半月前でも昨日だったとしても、友は友じゃありませんか」
身分の違いはあれど、友と呼べる鶴松と團十郎の関係は最高!
全体的にはスピード感もあり、読んだ後もすっきり気持ち良い作品!
日本史好き、歌舞伎好きの方にもおすすめです。
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