泉涌寺山内にある今熊野観音寺は、真言宗泉涌寺派の寺院で「頭の観音さん」として京都市民によく知られています。
四季折々の自然が美しく静かな境内は、騒がしい世間から離れて心が洗われるようです。
周辺には泉涌寺、少し歩くと東福寺がある観光地でありながら、落ち着いた空間を保っている観音寺は、人込みから逃げてほっこりしたい人におすすめです。
今日は、今熊野観音寺について
- 由緒
- 境内の見どころ
- おすすめの年間行事
などを紹介します。
京都の穴場を探しているあなた、ぜひ記事を読んでお役に立ててくださいね。
今熊野観音寺の由緒
今熊野観音寺は、山号を「新那智山」といいます。
ご本尊は、弘法大師空海の作と伝えられている秘仏十一面観世音菩薩。
脇仏は不動明王(伝智証大師円珍作)・毘沙門天(伝運慶作)
- 西国三十三ヶ所観音霊場 第十五番札所
- ぼけ封じ・近畿十楽観音霊場 第一番札所
- 京都泉山七福神 えびす神奉祀
- 落陽三十三所観音霊場 第十九番札所
- 神仏霊場会 122番(京都42番)霊場
と、数々の札所になっています。
観音寺の創建は古く、平安時代にさかのぼります。
弘法大師空海が熊野権現のご霊示を受け、現在の地に庵をむすびました。
空海が唐の国で真言密教を学び帰国した翌年のことでした。
その後、嵯峨天皇の勅旨を奉じ、お堂の造営が始まりました。
平安末期には、後白河上皇が、古くから熊野権現出現の伝説がある今熊野の地を紀州熊野の観音霊場になぞらえて、社殿を山麓に造営します。
また、頭痛の持病があった後白河上皇の夢に今熊野観音様が表れ、頭痛の原因を告げたことで、平癒したという話から、頭痛封じの観音様として崇拝されるようになりました。
枕元に立たれた観音様という事で、観音寺では「枕宝布」というご祈祷がされた枕カバーが販売されていますよ
観音寺は、その後南北朝の時代と応仁の乱のときに焼失しましたが、復興され、江戸時代の西国霊場巡礼が盛んになり、現在に至ります。
境内を散策してみましょう
東大路通りから泉涌寺道に入り坂を上っていくと、「御寺泉涌寺」の総門が見えてきます。
左には泉涌寺の塔頭即成院(そくじょういん)があります。
即成院には那須与一のお墓が、即成院の隣の戒光寺には、御陵衛士の墓所があります。
総門をくぐると道の両側には木々からの木漏れ日が気持ちいいです。
(夏の早朝に訪れましたが、ほんの少し酷暑を忘れることができました)
なだらかな坂がしばらく続いた先に、左に今熊野観音寺への路が見えてきます。
鳥居橋・大講堂
急な下り坂を降りると、緑の中に鮮やかの朱色の鳥居橋(とりいばし)が目を引きます。
鳥居橋を渡り、参道を進むと左奥に3階建ての立派な大講堂が見えます。冷暖房・エレベーター完備で観音寺で行われる法要や檀家さんの行事などに使用されています。
子護大師
参道をそのまままっすぐ進むと、弘法大師の像が左に見えます。
子護大師です。
大切な子どもたちを弘法大師さまが見守ってくださっています。
子護大師の周囲には、四国八十八ヶ所の砂利が敷き詰められていて、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と言いながら、3周すると、四国八十八ヶ所を巡ったと同じだけのご加護がいただけると言われています。
私は幼い頃、何もわからずくるくるとよく周っていました。
本堂・五智の井
子護大師の後ろにある階段を上っていくと、本堂前に出てきます。
弘法大師が熊野権現と出会った最も神聖な場所とされています。
本堂の中は、お香の香りが漂い、荘厳な雰囲気が漂っています。
本堂の向かいには、「五智の井」があります。
弘法大師が観音寺を開くときに、錫杖で岩根をうがち、湧き出した水が始まりです。
その水「五智水」は、今でも井戸水として湧き出しています。
昔は、手で押すポンプ(となりのトトロでサツキとメイの家にありましたね)で水を押し上げていましたが、今は水道のように蛇口があります。
「五智水」は、どなたでも利用できますので、清涼な五智のお水を堪能してみてくださいね。
大師堂・ぼけ封じ観音
本堂に向かって右の方に大師堂、その前にぼけ封じ観音がいらっしゃいます。
ぼけ封じ観音は、私たちを取り巻く心や身体のぼけを取り除いてくださる観音さまです。
多くの人が身代わりの石仏に願い事を込めて奉納しています。
認知症の母を看ている私は、自分の子どもたちにはこんな切なくて辛い思いをさせたくありませんので、しっかりと参拝させていただきました。
稲荷社・熊野権現社・鐘楼
大師堂に向かって右の奥にあるのは、稲荷社・熊野権現社です。
稲荷明神と弘法大師は浅からぬ関係があります。
稲荷大社が伏見に建立された際、藤森神社とのいさかいがあったのですが、その間に入って仲を取り持ったのが弘法大師だったと言われ、東寺の近くも稲荷社があります。
稲荷社・熊野権現社の前には、鐘楼があります。
鐘楼は、太平洋戦争のときに供出されましたが、そのままの姿で残され、観音様のご加護により、無事に元の場所に戻ったそうです。
毎年大みそかには、百八つの除夜の鐘が突かれます。
金龍弁財天・今熊野西国霊場・医聖堂
鐘楼の奥には緩やかな坂道があります。
その奥は緑の木々に覆われて、昼間でも少し暗くて、ちょっと怖い…。
でも歩いてみると木の香りが新鮮でとても気持ちいいです。
この道は、今熊野西国霊場の巡拝道となっています。
路の右には、西国三十三ヶ所霊場の各ご本尊を石仏として奉安していますので、ゆっくりと巡拝なさってください。
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左にある池の近くにあるのは、金龍弁財天です。
池の近くに金色の蛇の神様が現れ、こちらにお祀りされています。
巡拝道を上った先には、鮮やかな朱色の医聖堂がそびえたっています。
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医と宗教が共に手を携えて、人類が共に明るく健康に暮らせるような社会になるようにと、観音寺の住職さんが願を込めて建立した平安様式の多宝塔です。
医聖堂には、医界に貢献した多くの人々が祭祀されています。
同期の桜
本堂の右側を奥へ行くと、大きな石碑がありました。
「陸軍甲種幹部候補生之碑」と刻まれています。
その隣には忠魂碑という石碑もありました。
その前に桜の木「同期の桜」があります。
同じ陸軍飛行学校出身の人達の戦地で散った同期を忘れることのないようにと植樹したしだれ桜です。
母に、「それは戦争で亡くなった人のお墓だよ。今は誰もお参りすす人がいなくて、こんなになっているんだね」と言って、せめてお水だけでもとお墓に水をあげていました。
そんなことをふと思い出しました。
今熊野観音寺の年中行事
一年間に多くの行事が行われる観音寺ですが、こちらではおすすめの年間行事を紹介します。
京都泉山七福神巡り
毎年成人の日に行われる泉涌寺山内の七福神霊場を巡る行事です。
即成院で福笹をいただき(無料)、1番目の福禄寿にちなんだ縁起物を笹につけていただきます。
2番は戒光寺の弁財天、3番観音寺の恵比寿神、4番来迎院の布袋尊、5番雲竜院の大黒天、6番悲田院の毘沙門天、7番目が法音院の寿老人です。
そして番外として泉涌寺本坊の楊貴妃観音と新善光寺の愛染明王と続きます。
それぞれに縁起物を付けてゆき、御朱印ももらっていくと、なんだかスタンプラリーみたいで楽しくなってきますよ。
すべてをじっくりと巡るなら、半日くらいの余裕があったほうがいいと思います。
四国八十八ヶ所お砂踏法要
毎年9月21~23日に行われています。
弘法大師ゆかりの四国八十八ヶ所の霊場を巡る四国遍路は全国から巡拝に訪れる人が後を絶ちません。
ですが、時間的・経済的・体力的に巡礼ができない人のために、観音寺のお砂踏法要が始められました。
お砂踏法要は、大講堂の大広間にお砂踏道場が作られ、御朱印を戴いた白衣(おいずる)を着て参拝します。
1番札所から88番札所まで順にお参りすると、四国巡礼と同じ功徳があると言われています。
心を込めてしっかりとお参りすれば、心新たに何か始めたい気分になります。
紅葉まつり
11月中旬から下旬にかけて、境内の鮮やかな紅葉を楽しむことができます。
観音寺だけでなく、泉山全体が美しく彩られる秋は、1年で1番おすすめの時期です。
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今熊野観音寺のアクセス
JR奈良線東福寺駅・京阪電車東福寺駅から徒歩約15分
京都駅から市バス208号系統で泉涌寺道下車徒歩約10分
泉涌寺道からはずっと上り坂ですので、足に自信のない人はタクシーのご利用をお勧めします。
京都駅からタクシーで約7分です。
小さなころから、よく親に連れて行ってもらっていた観音寺は、冒険心をくすぐる遊び場でした。
大人になり、あの頃の親の年齢をも超えた今、改めてじっくりと参拝した観音寺は懐かしさとともに子どもの頃にはわからなかった荘厳なたたずまいを堪能しました。
世間の喧騒から逃れて、木々の声を聞きながらゆったりと時間を過ごしたいあなた、どうぞ一度今熊野観音寺を訪れてみてくださいね。
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