京都の南、東寺から西へ少し歩いたところに、六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)があります。
春の桜、初夏の藤の花、紫陽花と訪れる人を楽しませてくれる六孫王神社は、1000年以上の歴史を持つ由緒ある社なのです。
今回は、六孫王神社の歴史と見どころを紹介します。
六孫王神社の由緒
ご祭神(主祭神)
- 六孫王大神
- 天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
- 八幡大神
六孫王神社は、源経基の邸宅・八条邸の跡地に建てられたと伝わっています。
応和元年(961年)、経基が亡くなる際
「死後は龍神となり邸内の池に住み、子孫繁栄を祈る。だから、この地に私を葬りなさい」
と言い残しました。
そこで、経基の子・満仲は、父経基をこの地に埋葬します。
応和3年(963年)、埋葬地の前に建てられた社殿が、六孫王神社の始まりとされています。
現在、本殿の後方にある石の基壇は、経基が埋葬されている廟であると伝わっています。
疑問その1:六孫王とは?
源経基は、清和天皇の六男であった貞純親王(さだずみしんのう)の長子として誕生した経基は、帝の六男の孫であるということから「六孫王」という愛称がつけられています。
あの平将門を謀反の疑いありと、訴えたこともある経基は、文武に優れた武将でした。
実際に経基が生きていた時に「六孫王」と呼ばれていたという事実はないようですが、彼が祀られた社には、経基を偲んで「六孫王」の名が使われたのではないでしょうか。
疑問その2:なぜ六孫王神社が清和源氏の祖なの?
源氏とは、皇族がその身分を離れ、臣籍に下る(臣籍降下)ときに与えられる姓の1つです。
ちなみに、与えられる姓には「源」のほか「平」「藤原」「橘」などがあります。
清和源氏とは、清和天皇系で臣籍降下した人を指す言葉で、源経基は、初めて清和源氏となった人だったのです。
清和源氏としては、鎌倉幕府を開いた源頼朝と義経・範頼兄弟が有名ですね
六孫王神社の境内
六孫王神社は、八条通と壬生通りの西北角に位置しています。
一の鳥居をくぐると、30台分ほどの無料駐車場があり、その奥にある二の鳥居の向こうには、朱の灯籠が並ぶ風情ある景色が広がります。
境内中央にある神龍池にかかる橋は、「恋の架け橋」と呼ばれ、恋愛成就のご利益があるそうです。
源経基の龍神は、この池に住んでいるのですね。
本殿・拝殿
六孫王神社の本殿と拝殿は、室町時代から戦国時代にかけての戦乱の中で失われていましたが、江戸時代中期の元禄14年(1701年)に再建されています。
誕生水弁財天社
源経基は、子・満仲が誕生する際、邸に合った井戸の上に社を建て、琵琶湖・竹生島の弁財天を分霊をお祀りして安産祈願をしました。
この井戸は、満仲の産湯に使ったとされて、今でも「安産の水」として広く知られています。
1年に1度、6月13日には、弁財天がご開帳されます。
ちょうど紫陽花の美しい時期ですので、興味のある方はぜひ参拝してみてください。
陸弥稲荷神社
誕生水弁財天社の右隣にあるのが睦弥稲荷神社です。
小さな社の前には、朱の鳥居が連なっています。
初夏のころは、美しい新緑とのコントラストが素敵な景色を見せてくれます。
京都十六社朱印めぐり
六孫王神社は、京都十六社朱印めぐりの一社でもあります。
京都の由緒ある16の神社を巡拝する京都十六社朱印めぐりは、新年1月1日から2月15日の期間に行われていますので、ご朱印を集めている方は、一度参加してみてはいかがでしょう。
六孫王神社の花々
六孫王神社は、知る人ぞ知る桜の隠れた名所です。
二の鳥居から本殿にかけての参道両側には、桜の木が続いていて、満開になるとまさに桜のトンネル。
こじんまりとした境内は、桜色に染まります。
4月中旬から下旬になると、本殿横の藤の花と遅咲きの八重桜が参拝者を迎えてくれます。
6月は、紫陽花の季節。
鮮やかな青葉と色とりどりの紫陽花が素敵です。
春から初夏にかけての季節は、六孫王神社が最も華やかになりますので、参拝されるならぜひこの時期にお出かけになってください。
六孫王神社 基本情報
境内自由・参拝無料
六孫王神社公式webサイト http://www.rokunomiya.ecnet.jp/
最寄り駅
- JR/近鉄京都線 京都駅下車 徒歩15分
- 市バス 六孫王神社前 徒歩1分
バス・鉄道乗り換え案内 http://www.arukumachikyoto.jp/
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